自分が変わり、お金持ちになった!成功した!けど、またそれをキープする恐怖、不安がくるのはなぜ?

尊厳経済

「自分を変えたい」

そう思って、自己啓発や心理学を学び、思い込みを変え、行動を変えてきた。

そして、本当に人生が変わった。

収入が増えた。

仕事で成功した。

人から認められるようになった。

欲しかったものも買えるようになった。

「やった!ついに自分は変わった!」

「これで幸せになれる!」

ところが――

しばらくすると、また不安がやってくる。

「この収入が減ったらどうしよう……」

「今の成功をキープできなくなったらどうしよう……」

「今のポジションを誰かに奪われたらどうしよう……」

成功する前とは違う、新しい恐怖が始まる。

なぜなのでしょうか?

手に入れる前は「欲しい」、手に入れた後は「失いたくない」

成功する前は、

「もっとお金が欲しい」

「もっと認められたい」

「もっと成功したい」

と思う。

そして努力して、ついに手に入れる。

ところが、手に入れた瞬間から、

「失いたくない」

が始まります。

お金を手に入れれば、

「この収入が減ったらどうしよう」

成功すれば、

「失敗して、元の生活に戻ったらどうしよう」

地位を手に入れれば、

「このポジションを奪われたくない」

愛する人と出会えば、

「この人が離れていったらどうしよう」

となる。

つまり、

手に入れる前は「不足」に苦しみ、
手に入れた後は「喪失」に怯える。

成功したからといって、必ずしも恐怖がなくなるわけではありません。

恐怖の「内容」が変わっただけなのです。

幸せに「条件」がついている

ここには、もっと根本的な問題があります。

たとえば、

「年収1000万円になったら幸せ」

と設定したとします。

年収1000万円になった。

「幸せだ!」

ところが翌年、500万円になった。

「不幸になった……」

何が変わったのでしょうか?

変わったのは、

条件です。

年収1000万円=幸せ。

年収500万円=不幸。

同じように、

成功している=幸せ。

失敗している=不幸。

愛されている=幸せ。

愛されていない=不幸。

評価されている=幸せ。

評価されていない=不幸。

このように、私たちは知らないうちに、

「○○なら幸せ」

という条件をつくっています。

条件によって定義された幸せは、泡のように儚い

問題はここです。

条件によって定義された幸せは、その条件が変わった瞬間に消えてしまいます。

お金は変化します。

仕事も変化します。

人間関係も変化します。

身体も変化します。

社会も変化します。

時代も変化します。

昨日まで成功していた人が、明日も同じように成功している保証はありません。

だから、

「成功している私=幸せ」

と定義した瞬間、

同時に、

「成功を失った私=不幸」

という可能性も生まれる。

ここから、

「今の状態をキープしなければ」

「絶対に失敗できない」

「この収入を落としたくない」

「誰にも奪われたくない」

という恐怖や不安が始まります。

つまり、

幸せを手に入れたはずなのに、その幸せを守るために生きるようになってしまう。

これでは、本当の意味で幸せになることはできません。

自分を変えても、また問題が起きるのはなぜ?

世の中には、自分を変えるためのさまざまな方法があります。

思い込みを変える。

自信をつける。

強みを発見する。

行動を変える。

成功する。

それによって、本当に人生が大きく変わることがあります。

しかし、

「ダメな私」が「成功した私」になったとしても、幸せを条件によって定義する構造が残っていれば、また別の問題が生まれます。

以前は、

「成功できない」

ことに悩んでいた。

成功したら今度は、

「成功を失うのが怖い」

ことに悩む。

以前は、

「お金がない」

ことに悩んでいた。

お金持ちになったら、

「お金を失うのが怖い」

ことに悩む。

問題がなくなったように見えて、

問題の形が変わっただけなのです。

「もっと欲しい」と「奪われたくない」

そして、この構造は個人だけで終わりません。

個人なら、

「もっとお金が欲しい」

「今のお金を失いたくない」

となる。

企業なら、

「もっと利益が欲しい」

「今の市場を奪われたくない」

となる。

国家なら、

「もっと豊かになりたい」

「資源や領土や影響力を奪われたくない」

となることがあります。

規模は違っても、

もっと欲しい。

そして、

奪われたくない。

という構造が現れる。

「自分」と「自分ではないもの」。

「自分たち」と「自分たちではないもの」。

「自国」と「他国」。

境界が固定されれば、

内側を守り、外側を警戒する

という認識も生まれ得ます。

相手も同じように自分を守ろうとすれば、

「奪われるかもしれない」

「攻撃されるかもしれない」

という恐怖が、お互いに大きくなっていく。

だから、一つの問題が解決しても、

問題を生み出す根底の構造が変わらなければ、また別の場所に、別の争いが生まれる可能性があります。

自分だけが幸せになることはできるのか?

ここでもう一つ、問いがあります。

「自分だけが幸せになる」ということは、本当に可能なのでしょうか?

私たちは一人で生きているわけではありません。

食べ物。

水。

空気。

家。

仕事。

言葉。

文化。

社会。

自然。

歴史。

地球。

宇宙。

無数の関係性の中で、今の「私」が成立しています。

それなのに、

「自分だけがお金持ちになればいい」

「自分の会社だけ成功すればいい」

「自分たちのグループだけ幸せならいい」

「自分の国だけ豊かなら、他国は関係ない」

という幸せを追い求める。

そこには、

「私」と「世界は別々である」

という大きな前提があります。

しかし、すべてがつながり合って成立しているなら、

世界の幸せと、自分の幸せを本当に切り離すことができるのでしょうか?

では、「条件」が生まれる前は?

ここまで来ると、問いそのものが変わります。

「どうすればもっと成功できるのか?」

ではない。

「どうすればもっとお金持ちになれるのか?」

でもない。

「どうすれば成功をキープできるのか?」

でもない。

そもそも、

なぜ私は「成功=幸せ」「失敗=不幸」と定義しているのか?

なぜ、

お金がある/ない。

成功/失敗。

愛される/愛されない。

私/あなた。

自分/世界。

という境界が生まれるのでしょうか?

そして、

その分離が生まれる前は、どうなっているのでしょうか?

成功と失敗に分かれる前。

幸せと不幸に分かれる前。

私とあなたに分かれる前。

自分と世界に分かれる前。

そのすべての分離が生まれる前の構造を問う。

それが、ネシエンス学です。

成功して幸せになる。

そして、その成功を失うことに怯えながら生きる。

そんな「条件によって揺れ続ける幸せ」から、

条件が変わっても消えることのない、本当の幸せとは何なのか?

そこまで人間の「幸せ」を問い直す。

自分を変える、そのさらに先へ。

そこから、新しい問いが始まります。

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