聖書の『ヨハネの黙示録』には、有名な666=獣の数字が登場する。
でも自分は、ずっと引っかかっていた。
なぜ「6」なのか。
なぜ7ではなく、6なのか。
そしてネシエンス学の1-5-1で世界の成り立ちを整理した時、自分の中で一つの答えが出た。
これは聖書の一般的な解釈ではない。
自分がネシエンス学から読み解いた独自の定義だ。
6とは、最初の「1=真理」が抜けた世界である。
だから自分は、この状態を、
「裏を切った人生=裏切り人生」
と呼びたい。
ネシエンス学の「1-5-1」とは何か

ネシエンス学では、世界を1-5-1という構造で整理する。
最初の「1」は真理。
時間も、空間も、存在もまだ成立していない根源のポジションだ。
そこから、5つのアルゴリズムが展開する。
場 → 粒子 → 力 → 運動 → 量
場は、真空エネルギー。
粒子は、宇宙。
力は、物質から生命へ。
運動は、人類。
量は、膨大な人類史と祖先の流れを経て誕生した、具体的な一人の人間。
自分の場合なら、
「中西豊」という存在が誕生する。
そして、その中西豊が見たもの、聞いたもの、感じたもの。
それらすべてが、最後の1=ホログラムとして現れる世界になる。
つまり、
真理の1 → 5つの生成アルゴリズム → ホログラムの1
これが1-5-1だ。
「6」とは、真理の1が抜けた世界だ

ここで「6」を考えてみる。
1-5-1は全部で7。
しかし、最初の真理の1を抜くと、
5+1=6
になる。
場がある。
宇宙がある。
物質がある。
生命がある。
人類がいる。
自分がいる。
そして、自分が見ている世界がある。
一見すると、全部そろっている。
でも、決定的なものが一つ抜けている。
そのすべてを成立させている真理がない。
だから6とは、
現象世界はあるのに、その根源を知らない状態
だと自分は定義する。
人間は世界を知ったつもりになる。
自分を知ったつもりになる。
でも、自分も世界も「なぜ成立しているのか」という最初の1を知らない。
それが6の世界だ。
真理という「裏」を切った人生――だから「裏切り人生」

ここから、自分は「裏切り」という言葉をまったく違う意味で使いたい。
普通、「裏切り」と言えば、人を裏切ることを意味する。
でも自分が言う裏切り人生は違う。
世界の裏側にある真理を切り離して生きること。
だから、
裏を切る。
真理を切る。
それが「裏切り」。
表側には、
お金がある。
国家がある。
仕事がある。
肩書きがある。
常識がある。
倫理道徳がある。
情報がある。
成功と失敗がある。
幸せと不幸がある。
しかし、そのすべての裏側にある「最初の1=真理」を知らないまま、表側だけで人生を完成させようとする。
それが、自分の定義する裏切り人生だ。
人を裏切るという意味ではない。
自分自身の存在の根源である真理から切り離されて生きること。
それこそが、最大の裏切りなのだ。
だから自分は「6」を悪魔の数字と定義する

聖書では、正確には「6」単独ではなく、666が獣の数字として登場する。
だから「6=悪魔」というのが聖書そのものの教えではない。
ここからは、自分のネシエンス学による解釈だ。
自分は、
6=真理の1が抜けた数字
と定義する。
そして666とは、
真理を失ったまま、現象世界だけで完全になろうとする構造が極大化した状態
と読む。
人間は、より強い軍事力を持とうとする。
より多くのお金を持とうとする。
より正しい倫理道徳をつくろうとする。
より多くの情報を集めようとする。
AIによって、さらに知識を増やそうとする。
しかし、どれだけ積み上げても、最初の「1」がなければ6のままだ。
だから自分は、
6とは悪そのものではない。
真理を失った世界を象徴する数字だ。
と定義する。
そして、その真理を失ったまま世界を完成させようとする生き方を、
「裏切り人生」
と呼ぶ。
666を超えるとは、真理の1を取り戻して生きることだ
では、666を超えるとは何なのか。
悪魔と戦うことではない。
何か特別な宗教を信じることでもない。
抜けていた最初の1を取り戻すことだ。
自分とは何か。
人間とは何か。
世界とは何か。
時間とは何か。
存在とは何か。
その根源にある真理から、自分の人生をもう一度つくり直す。
暴力に決めさせない。
お金に決めさせない。
国家に決めさせない。
倫理道徳に決めさせない。
常識に決めさせない。
情報に決めさせない。
外側の世界に、自分の意思決定を預けない。
真理の1から、自分で決める。
自分は、これが「裏切り人生」を終わらせることだと考えている。
6の世界だけを生きるのではない。
最初の1を取り戻し、
1-5-1すべてを生きる。
それが、真理とともに生きる人生だ。


