日本人に生まれた使命を知っていますか? 『沈黙の艦隊』から考える1945年8月15日の意味

21世紀の悟り人Noh Jesu

『沈黙の艦隊』は、海上自衛官・海江田四郎が原子力潜水艦を
独立国家「やまと」と宣言し、世界に問いを投げかける物語です。

国家とは何か。
核兵器とは何か。

そして、人類はいつまで戦争を続けるのか。

海江田は、こう語ります。

「本艦の理想は、あらゆる人間・民族の完全なる自立!」

「そして、堂々たる尊厳(ディグニティ)の獲得である」

さらに、

「人類の核兵器による戦争は終結したのだ!」

「1945年8月、アメリカにより核爆弾が日本に投下使用された瞬間に!」

そして、

「戦争の時代はすでに終わった」

「わが航海はそれを実証する旅なのだ!」

僕は、この言葉に強烈に引っかかりました。

なぜ海江田は、

「これから戦争を終わらせよう」

ではなく、

「1945年8月の時点ですでに終わっている」

と言ったのでしょうか。

原爆は、本当に日本を敗北させるために必要だったのか

1945年8月6日、広島。
8月9日、長崎。

二つの原子爆弾が投下されました。

しかし、1946年のアメリカ側の公式研究『Japan’s Struggle to End the War』には、

“The Hiroshima and Nagasaki atomic bombs did not defeat Japan.”

つまり、

「広島・長崎への原爆が、日本を敗北させたのではない」

と書かれています。

さらに、天皇、内大臣、首相、外相、海相らは、1945年5月の時点で、
戦争を終える必要があると考えていたとされています。(history.navy.mil)

そして時系列を見ると、

8月6日 広島に原爆
8月8日 ソ連が日本へ宣戦
8月9日未明 ソ連軍が満州へ侵攻
8月9日11時2分 長崎に原爆

と、わずか数日にアメリカとソ連が結託したかのような動き、出来事が集中しています。

しかも、原爆は広島・長崎の2発だけで終わる計画ではなく、複数都市が候補となり、
3発目以降の使用も検討されていたといいます。(nsarchive.gwu.edu)

なので、僕は、

「日本を降伏させるためだけに原爆が必要だった」
という説明だけでは足りないと思っています。

戦後の東アジアをめぐるアメリカとソ連の国家戦略。

そして、新兵器を実戦で使い、その威力を確認する実験的側面。

そうしたものも重なっていたのではないか、と考えている歴史学者もいます。

それでも、アメリカを恨みたいわけではない

僕が言いたいのは、

「アメリカを憎もう」

ではありません。

日本の戦争については、

「日本は侵略した側だった」

という視点が強く語られます。

もちろん、それも歴史の一面です。

でも、一方向だけで歴史を見れば、別の事実が見えなくなる。

だから今回は、あえて「日本の侵略戦争」の真逆側の資料を並べました。

日本だけを正義にしたいわけでも、アメリカだけを悪にしたいわけでもありません。

歴史を見る目を、一度フラットに戻したい。

それだけです。

8月15日は、本当に「敗戦の日」なのか

僕が一番考えたいのは、ここです。

1945年8月15日。

戦争は、始めるより終わらせる方が難しい。

たとえが適切か分かりませんが、

結婚する時より、離婚する時の方が大きなエネルギーを使うことがあります。

戦争なら、なおさらです。

犠牲者が出る。
報復したくなる。
国家のメンツがある。
領土がある。
軍部がある。

それでも日本は、

戦争を終わらせる決断をした。

僕は、8月15日を単なる

「日本が負けた日」

としてだけ見ていいのか?

日本人は、本当にそんなに弱いのか

戦後、日本は約7年間、連合国軍の占領下に置かれました。

その占領政策によって、日本人の自己認識や歴史観が大きく変わった、と論じる人もいます。

「日本人はアメリカに飼いならされた」

「お人よしだから、いつも損をする」

そんな厳しい言葉まであります。

でも僕は、そこで立ち止まって考えたい。

日本人って、本当にそんなに弱いんだろうか?

実は僕自身、昔は日本人であることが好きではありませんでした。

なんとなく日本は格好悪い。

アメリカやイギリスの方が格好いい。

理由なんて、うまく説明できない。

でも心のどこかで、

「日本より海外の方が上」

そんな感覚を持っていたんです。

ところが今は、まったく逆です。

日本に生まれてよかった。

日本人って、最高じゃん♪

本気でそう思っています。

なぜ、ここまで変わったのか。

僕の日本観を180度変えた韓国人

きっかけは、一人の韓国人との出会いでした。

ノ・ジェス氏です。

彼は、

「日本には、世界を救済できる可能性がある」

と語ります。

最初に聞いた時は、

「何を言っているんだろう?」

と思いました。

こんなに自信を失っているように見える日本が?

世界を救う?

正直、疑問だらけでした。

ところが彼の話を聞き続けているうちに、

自分でも気づかなかった心の奥底から、

何かがムクムクと起き上がってくる感覚がありました。

眠っていたものが、

少しずつ目を覚ましていくような感覚。

僕はそれを、

「大和魂」

と呼びたい。

そして、ノ・ジェス氏の、

「1945年8月15日は、敗戦ではない。永遠の終戦だ」

という言葉を聞いた瞬間でした。

僕の中で、

何かが大きく反転したんです。

すごい。

敗戦ではなく、

「永遠の終戦」

なのか。

日本が負けた日として見るのではなく、

人類が戦争そのものを終わらせる出発点として見る。

その発想に、僕は胸を打たれました。

そして、しばらくして気づいたんです。

「あれ?」

これって、『沈黙の艦隊』の海江田四郎が言っていたことと同じじゃないか。

海江田は言います。

「戦争の時代はすでに終わった」

1945年8月。

人類はついに、核兵器によって、

戦争を続ければ人類そのものを滅ぼしかねない地点まで来てしまった。

だから、

日本の経験を、

「負けた」

「原爆を落とされた」

だけで終わらせてはいけない。

むしろ、

世界で唯一、戦争で原子爆弾を使用された国だからこそ、

「二度と人類に核戦争をさせない」

という方向へ、その経験を転換できるのではないか。

「お人よし」は、本当に弱さなのだろうか

ここでもう一度、日本人について考えてみたい。

日本人は、

「お人よしだ」

「相手に譲りすぎる」

「自分を主張できない」

と言われることがあります。

でも、本当にそれは全部、弱さなのでしょうか。

日本には、

わび・さび

という感覚があります。

武士道にも、

ただ相手を倒せばいい、という思想だけではなく、

節度や礼、相手への敬意という文化があります。

相手を思いやる。

相手の立場を感じ取る。

勝ったとしても、相手を徹底的に踏みにじらない。

僕たち自身にとっては、

あまりにも当たり前すぎて、その価値に気づいていないのかもしれません。

けれども、

敵と味方を分け、

憎しみが憎しみを生み、

報復が報復を生む世界において、

相手を思いやることができる感覚は、ものすごく大きな財産なのではないか。

そう考えるようになりました。

極端に言えば、

原爆を落とした国さえ、永遠に憎み続けるのではなく、未来では共に生きていこうとする。

これは「忘れる」という意味ではありません。

歴史をなかったことにすることでもありません。

事実を直視したうえで、

それでも憎しみの連鎖を次の世代に渡さない。

もしそれができるのだとしたら、

それは弱さではなく、

むしろ、

とてつもなく大きな精神の器なのではないか。

僕はそう感じています。

戦争を必要としない人間を育てる

では、その日本人の感覚を、

ただの「文化」や「精神論」で終わらせず、

誰でも学べる形にすることができたらどうでしょう。

僕が出会ったのが、

nTech(認識技術)/Nescience学です。

僕はこれを、

人間がなぜ対立するのかを認識の仕組みから理解し、敵とさえ対話できる人間を育てていくための、一つの教育体系

として捉えています。

戦争が起きてから、

「どうやって止めよう?」

と考えるのではない。

もっと手前から、

戦争を必要としない人間を育てる。

敵をつくる心の仕組みそのものを理解する。

違う民族。

違う国家。

違う宗教。

違う価値観。

その違いを超えて、

一人ひとりが自立し、

互いの尊厳を認められる人間を育てる。

ここで再び、海江田四郎の言葉につながります。

「あらゆる人間・民族の完全なる自立」

「そして、堂々たる尊厳(ディグニティ)の獲得」

僕は今、

1945年8月15日を、

単なる「日本が負けた日」で終わらせたくありません。

「敗戦」から「永遠の終戦」へ。

原爆を経験した日本だからこそ、

戦争を終わらせるだけではなく、

戦争そのものを必要としない世界をつくる教育を、世界に提示する。

それが、

日本人に生まれた僕たちが、世界に対して果たせる使命の一つなのではないか。

僕は今、そう感じています。

 

そして最後に。

僕の日本観を大きく変えるきっかけになった、ノ・ジェス氏の短い動画があります。

この動画で彼は、

「日本人に生まれた使命とは何なのか?」

という問いにつながるメッセージを語っています。

ここまで読んでくれた方には、ぜひ一度見てほしいです。

「1945年8月15日を、敗戦ではなく“永遠の終戦”として見るとはどういうことなのか」

その問いを持ちながら、聞いてみてください。

もしかすると、

日本を見る目が、

少しだけ変わるかもしれません。

 

 

 

 

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