『沈黙の艦隊』VOYAGE 273「ホワイトハウス応答せず」を読んで、自分は思わず
「うわ、ここか!」と歓喜した瞬間があった。
ニューヨーク近海まで進んだ原子力潜水艦「やまと」。
目の前には、圧倒的なアメリカ軍がいる。
いつ攻撃されてもおかしくない。
それなのに海江田四郎は、力と力をぶつけ合う方向には進まない。
その姿が、自分にはガンジーの非暴力、そして十字架を背負ってゴルゴダの丘へ向かうイエスの姿と重なって見えた。
海江田は、自分が死ぬことまで覚悟していたのか。
自らの死をもって、核兵器によって維持されてきた世界秩序を終わらせ、新しい恒久世界平和を生み出そうとしていたのか。
そして、その絶体絶命の瞬間に異変が起きる。
絶体絶命の「やまと」の前に、突如として現れた大量の鳥たち。
その光景を見たアメリカ副大統領が叫ぶ。
「ヨハネの黙示録 第4章だ!」
ここから『沈黙の艦隊』は、単なる軍事漫画を超えていく。
海江田四郎は「勝つこと」ではなく、戦争そのものを終わらせようとしている

普通の戦争なら、目的は相手に勝つことだ。
しかし海江田四郎が問い続けているのは、そこではない。
国家と国家が軍事力を持ち、互いを恐れさせることで平和を維持する世界そのものを終わらせること。
核兵器を持てば安全になる。
相手も核兵器を持てば、撃てなくなる。
それが核抑止だ。
しかし、その平和は「撃ったら全員死ぬ」という恐怖の上に成立している。
海江田が「やまと」によって突きつけたのは、
人類は、本当に恐怖によってしか平和をつくれないのか。
という問いだ。
だから、ニューヨーク近海で「やまと」が無防備に近い状態になることには意味がある。
より強い暴力でアメリカを屈服させるのではなく、
自ら暴力の連鎖から降りることで、暴力によって成立してきた世界秩序そのものを終わらせる。
海江田が賭けたのは、単なる勝敗ではない。
人類が次の世界へ進めるのか、その可能性そのものだった。
無防備な「やまと」は、ガンジーの非暴力とゴルゴダのイエスに重なる

この海江田の姿勢は、自分にはガンジーの非暴力抵抗と重なる。
非暴力とは、単に攻撃しないことではない。
相手が暴力を使う可能性まで引き受けた上で、
「それでも自分は暴力によってあなたを支配しない」
と決断することだ。
そして、さらに重なったのがイエスだった。
イエスはゴルゴダの丘へ向かう。
自分が殺される可能性を知りながら、それでも進んでいく。
しかし、それはただの自殺ではない。
キリスト教では、イエスの死は人類の罪を贖うものとして理解されてきた。
つまり、自分の命を失うこと自体が目的なのではない。
人類から罪を払拭するための覚悟と決断による、勇気ある行動として描かれている。
海江田にも、それと重なるものを感じる。
命以上に大事なものがある。
そのために死ぬ可能性まで引き受ける。
決死の覚悟。
決断。
その姿が、まるでゴルゴダの丘へ向かうイエスと重なる。
海江田が目指しているのは玉砕ではない。
敵を倒して死ぬことでもない。
人類を「敵と味方に分け、恐怖と暴力によって平和を維持する世界」から解放するために、自らの命さえ賭けている。
だから、この場面の「やまと」は兵器であると同時に、人類への問いそのものになる。
しかも、この直後に『沈黙の艦隊』では、さらに衝撃的な出来事が起きる。
「やまと」を取り囲むように、イギリス、ロシア、インド、中国――四か国の原潜が、次々と集まってくる。

それは、通常の軍事常識では考えられない光景だ。
まるで海江田が人類に向けて投げかけた世界恒久平和への意思に、
各国の原子力潜水艦が応答しているかのようだった。
ここで重要なのは、彼らが国の命令によって動いたのではないということだ。
それぞれの国に属しながらも、それぞれの原潜艦長たちが、
国家の命令を超えて、自らの主体的な意思によって集まってくる。
これは単なる軍事行動ではない。
国家よりも深い次元で、人間一人ひとりの良心と決断が動き出した瞬間だ。
海江田一人の覚悟が、他の艦長たちの主体的決断を呼び起こしていく。
そこには、これまでの「国家が命じるから従う」という秩序とはまったく違う、
新しい人類の可能性が描かれている。
そして、そのありえない光景を目の当たりにしたアメリカ副大統領が叫ぶ。
「奇跡が起こったのだ! ヨハネの黙示録4章だ!」
ここから物語は、一気に『ヨハネの黙示録』第4章の世界へとつながっていく。
ヨハネの黙示録4章――「この世界の主権はどこにあるのか?」

その極限状態で、物語は突然『ヨハネの黙示録』第4章につながる。
黙示録4章では、神の玉座の周囲に四つの生き物が現れる。
獅子。
雄牛。
人の顔を持つもの。
飛ぶ鷲。
四つの生き物は全身が「目」で満ち、それぞれ六つの翼を持ち、神を賛美し続ける。
ここで自分が感じたのは、
「神が世界を支配している」という単純な話ではない。
むしろ、
この世界の主権はいったいどこにあるのか?
という問いだ。
しかも、このタイミングで『沈黙の艦隊』では、テレビ局ACNのデミル社長によって、世界中の人々に向けた一斉アンケートが実施されている。
大統領だけが決めるのではない。
軍人だけが決めるのでもない。
国家だけが決めるのでもない。
世界中の一人ひとりに、意思を問う。
自分には、ここに作者からの強烈なメッセージがあるように見える。
主権は国家だけにあるのではない。
指導者だけにあるのでもない。
本当は、私たち一人ひとりの中にある。
そしてヨハネの黙示録に登場する「神」をネシエンス学から読み直すなら、
私たちの外側に神がいるのではなく、自ら意思決定できる根源が、すでに私たちの中にある。
そんなメッセージとして読むこともできる。
獅子・雄牛・人・鷲――人類の支配構造と目覚めをネシエンス学から読む

ここからは、聖書本来の解釈ではなく、自分がネシエンス学から読み直した独自の考察だ。
まず獅子。
自分は獅子を、暴力・権力・お金によって秩序化してきた人類の象徴として読む。
人類史では、より強い軍事力、より大きな権力、より多くのお金を持つ者が社会を動かしてきた。
獅子は「力による支配」だ。
しかし、人類はそこから次の段階へ進む。
獅子の露骨な支配は、二つの羽で顔を覆うようにして隠され、倫理・道徳・常識という“正しさの支配”へ姿を変えた。
それが雄牛だ。
暴力で「従え」と言われれば、人は支配されていると気づきやすい。
ところが、
「それが常識です」
「善い人ならこうします」
「普通はこう考えます」
「それが正しい生き方です」
と言われると、人間は自分の意思で選んでいると思いやすい。
しかし実際には、外から与えられた情報によって自分を管理している場合がある。
つまり、獅子の時代では外側の暴力が人間を支配した。
雄牛の時代では、外側から入った正しさを内面化し、自分で自分を支配する。
支配は消えたのではない。
より見えにくくなった。
しかし、この四つの生き物は、最初から全身が目で満ちている。
自分はこれを、
本来、人間には最初から“真理を見る力”がある
という象徴として読みたい。
ただし、それをまだ自覚していない。
外に神がいる。
外に答えがある。
外に正しさがある。
そう思い込み続けている。
そこで「人」が登場する。
人とは、
暴力にも、お金にも、倫理道徳にも、常識にも意思決定を預けず、自分の中にある真理を見る力を自覚した人間。
つまり、悟った、真理に出会えた人間だ。
そして最後の鷲。
鷲は空高くから全体を俯瞰する。
一人の悟りで終わるのではない。
一人ひとりが自らの主権を取り戻し、その人間たちが連携していく。
国家、民族、宗教という部分的な枠を超え、人類全体を見る。
自分には、その姿が、海の中を国境に縛られず自由に移動する原子力潜水艦「やまと」と重なって見える。
しかも、それはただ海を進む船ではない。
まるで空を自由に飛ぶ船のようだ。
そして自分の中では、そこが中島みゆきの「宙船」のイメージにもつながる。
一人ひとりが自らの意思で立ち、誰かに人生の舵を預けるのではなく、同じ方向を目指してともに船を動かしていく。
悟った人間たちが連携し、人類全体で新しい世界へ進んでいく。
自分には、その姿が「宙船」のようなチームプレーに見える。
獅子。
雄牛。
人。
鷲。
これは、
力による支配から、正しさによる支配へ。
正しさによる支配から、自ら意思決定する人間へ。
そして、悟った人間同士の連携へ。
という人類の進化として読むことができる。
聖書の「かつておられ、今おられ、やがて来られる方」とネシエンス

そして自分が最も震えたのが、『ヨハネの黙示録』第4章に登場する聖書の言葉だ。
「かつておられ、今おられ、やがて来られる方」
この言葉を読んだ瞬間、ネシエンス学の「今ここ見る認識行為」とつながった。
過去を思い出している時も、実際に認識しているのは今ここだ。
未来を想像している時も、認識しているのは今ここだ。
過去も未来も、すべて今ここで認識されている。
そしてネシエンス学の解析では、さらにその根源に、
時間もない。
空間もない。
存在さえ成立していないポジション
がある。
そこをネシエンスと呼ぶ。
時間が生まれる前。
空間が生まれる前。
「自分」と「世界」という存在が分かれる前。
その根源から、時間・空間・存在そのものが立ち上がる。
だから、
「かつておられ、今おられ、やがて来られる方」
という聖書の言葉をネシエンス学から読むと、
過去・現在・未来という時間そのものを超えたポジション
として見えてくる。
そして、そこから意思決定する。
暴力にも。
お金にも。
国家にも。
倫理道徳にも。
常識にも。
情報にも。
過去にも。
未来への恐怖にも。
自分の人生を決めさせない。
今ここから、自分で決める。
だから自分には、『沈黙の艦隊』VOYAGE 273が最後に突きつけている問いがこう聞こえる。
「人類よ、いつまで外側の力に主権を渡し、意思決定を委ねるのだ」
絶体絶命の「やまと」の前に、突如として現れた大量の鳥たち。
世界中の人々に意思を問うACNのアンケート。
そして『ヨハネの黙示録』第4章。
この三つが同時に描かれることには意味がある。
本当の奇跡とは、鳥が現れることだけではない。
これまで暴力や権力や正しさに意思決定を委ねてきた一人ひとりが、自分の中に主権があることに気づくこと。
そして、
人類が今ここから、核兵器のない新しい恒久世界平和を自ら選択すること。
そこに、自分は『沈黙の艦隊』が描いた最大の可能性を見る。


