攻殻機動隊2nd GIGが問いかける「自由」と「平等」の矛盾

悟った人のアニメ解析録

久世と合田の対立は、実は世界そのものだった

『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』を観ていると、久世英雄と合田一人の対立が描かれます。

しかし、この対立は単なる物語上の対立ではなく、
むしろ、人類が何百年も抱え続けている問いそのものです。

それは、

「自由」と「平等」は両立できるのか?

という問いです。

近代社会は、

「人は生まれながらに自由である」

そして、

「人は生まれながらに平等である」

というフランス人権宣言以来、その理念の上に成り立っています。

しかし、この二つは本当に同時に成立するのでしょうか?

攻殻機動隊2nd GIGは、その矛盾を見事に描いています。


自由を追求すると管理社会になる

久世が目指した世界は自由な共同体です。

一方で現実の世界を見ると、

自由を重視した社会は資本主義社会として発展してきました。

自由とは、

  • 自由に発言できる
  • 自由に競争できる
  • 自由に生き方を選べる

ということだと思いますが。

しかし自由が拡大すると、必ず新しい問題が生まれます。

人によって価値観が違うし、能力も、経済力も異なりますので、
その結果、社会は「こうだ」「あぁだ」と意見がぶつかり、争いやすくなります。

そのため国家は秩序を維持するためのルールを増やし、自由を守るために法を作る。
しかし結果として、法によって管理される社会になってしまう。

ここに大きな矛盾があり、自由を守ろうとした結果、管理が強化されるのです。

まさに合田が象徴している世界です。


平等を追求すると独裁が生まれる

 

一方で久世の思想には、「みんなが平等につながる共同体」という理想があります。

この発想はどこか共産主義が掲げた平等の理念にも似ています。

本来の共産主義は、

誰もが平等である社会を目指しましたが、しかし現実はどうだったでしょうか?

理想は平等だったはずなのに、ロシア、中国、北朝鮮などのように
権力が一部に集中し、独裁者が生まれました。

結果として、

  • 国民は監視される
  • 発言は制限される
  • 自由は奪われる

という社会が生まれてしまった。

平等を追求したはずが、徹底的な管理社会になってしまう。

ここにもまた矛盾があります。


トクヴィルが見抜いた民主主義の限界

フランスの政治思想家、アレクシ・ド・トクヴィルは、この問題を非常に早い段階で見抜いていました。

彼は民主主義社会が発展すると、人々は自由を得る一方で孤立すると考えました。

孤立した人間は、

  • 面倒なことを避けたい
  • 安全でいたい
  • 誰かに決めてほしい

と思うようになります。

すると国家は、

「あなたの代わりに管理します」

と言い始める。

人々は快適さを得る代わりに、少しずつ主体性を失っていく。

トクヴィルはこれを「穏やかな専制」と呼びました。

暴力ではなく快適さによる支配です。

(※実は、今の現代社会が、穏やかな専制という言葉ではなく、
長沼伸一郎先生は、「現代の見えない皇帝」と呼んでます。)


久世が見ていたのは第三の道だった

ここで面白いのは、久世が本当に目指していたものは、

自由主義でもなく、共産主義でもなく、彼は国家を否定したかったわけではありません。

独裁者になりたかったわけでもなく、彼が目指したのは、

主体的な共同体 です。

誰かに管理されるのではなく、誰かを支配するのでもない。

一人ひとりが主体性を持ちながら、つながる社会です。

トクヴィルも重要視した「中間共同体」に近い考え方です。

国家と個人だけではなく、その間にある共同体が社会を支える。

久世が描いた未来は、そんな可能性だったのに、無念なかばに倒れてしまう。


自由と平等は本当に両立しないのか

自由を追求すると格差が生まれ、それが争い、無秩序化する。

平等を追求すると、最終的には独裁者が生まれ、管理が強化される社会になる。

これは現代社会が抱える大きなジレンマです。

だからこそ攻殻機動隊2nd GIGは、どちらが正しいかを描いていません。

合田にも正義がある。

久世にも正義がある。

そして、そのどちらも極端に進めば問題が生まれる。

だから作品は、自由か平等かという二択ではなく、
もっと根本的な問いを私たちに投げかけています。


あなたは何を選びますか?

「人は生まれながらに自由である」

「人は生まれながらに平等である」

この二つはフランスの人権宣言以来、人類が求めてきた美しい理念です。

しかし現実社会では、

自由を求めれば平等が崩れ、平等を求めれば自由が制限される。

攻殻機動隊2nd GIGは、その矛盾を浮き彫りにしています。

そして久世の存在を通して、第三の可能性を示しています。

それは、

管理による秩序でもなく、強制による平等でもない。

一人ひとりが主体性を持ちながらつながる共同体です。

もし自由と平等が両立しないのだとしたら、

本当に必要なのは制度の改善ではなく、人間自体の

主体性そのものの進化 なのかもしれません。

あなたは、

自由と平等の矛盾を、どのように考えますか?

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