第二次世界大戦における日本の戦争は、「侵略」だったのか。それとも「自衛」だったのか。
日本から見れば、アメリカから経済制裁を受け、石油の供給も止められ、国家存亡の危機に追い込まれていった。
だから、
「このままでは国が生き残れない。日本は自衛のために戦った」
という見方がある。
一方、アメリカから見れば、
「そもそも日本が中国へ軍事的に進出したから、それを止めるために経済制裁を行った」
という見方になる。
つまり、日本から見れば自衛。アメリカから見れば侵略。
もちろん、これはそれぞれの立場からの説明であり、戦争の正当性を判断するには、実際の軍事行動や国際法も検証する必要がある。
ここで注目したいのは、「自衛」と「侵略」では、そもそも議論の出発点となる時間軸が違う傾向にあるということだ。
「自衛」を主張する立場では、1941年の対米開戦に至る経済制裁や日本の国家存亡の危機に注目する傾向がある。
一方、「侵略」を主張する立場では、1937年に本格化した日本の中国への軍事行動に注目する傾向がある。
つまり、どの時点から歴史を見始めるかによって、戦争の見え方そのものが変わってくる。
さらに時間軸を遡れば、アメリカ人による先住民(インディアン)の土地への侵略という歴史にまで行き着きます。
しかし、時間軸をどこまでも広げてしまうと、論点がズレてしまいます。
そこで今回は、日本と中国の対立が軍事衝突へと発展した時点に焦点を絞り、歴史を掘り下げていきたいと思います。
たった一発の銃弾から、戦争が始まった

1937年7月7日、北京郊外の盧溝橋付近。
夜の静けさの中で、銃声が響いた。
誰かが、最初の一発を撃った。
日本が撃ったのか。中国が撃ったのか。
今も、最初の発砲者は確定していない。
この銃撃をきっかけに日本軍と中国軍が衝突し、日中戦争の全面化へとつながっていく。
これが盧溝橋事件だ。
さらに、盧溝橋事件から約1か月後の1937年8月9日、今度は上海でも新たな事件が起きた。
大山事件だ。
日本海軍の大山勇夫中尉が、上海の虹橋飛行場付近を車で移動していたところ、中国側との間で銃撃事件が起き、大山中尉ら2人が死亡した。
ここでも、誰が先に撃ったのかをめぐり、日本と中国の説明は食い違った。
事件後、上海の緊張は高まり、大規模な戦闘へと発展した。
第一次世界大戦の発端にも、銃声がある。
1914年6月28日、サラエボ。
青年ガヴリロ・プリンツィプが拳銃でオーストリア=ハンガリー帝国の皇位継承者夫妻を撃ち、二人は死亡した。
約1か月後、オーストリア=ハンガリー帝国がセルビアに宣戦布告。各国の対立が連鎖し、第一次世界大戦へと拡大した。
もちろん、銃弾だけで戦争が起きたわけではない。
その前から国家同士が警戒し、軍備を増強し、対立を深めていた。
だから自分が知りたいのは、
「最初に撃ったのは誰だ! 日本か! 中国か!」
ということだけではない。
自分は、すでにお互いが極度の緊張状態にあり、どちらが発砲してもおかしくないほど、恐怖と警戒心が膨れ上がっていたのだと考えている。
それは、まるで「ところてん」のようなものだ。
ところてんは、後ろから四角い木の押し棒でギュッと押されると、前へ押し出されていく。

戦争も同じではないか。
国家同士の不信感、恐怖、敵対心、軍備増強。
それらが後ろからギュッ、ギュッと圧力をかけ続ける。
そして、ついに限界を超えた瞬間、誰かが引き金を引いてしまう。
最初の一発は、戦争の原因そのものではなく、積み重なった恐怖と対立が表面化した瞬間だったのではないか。
だからこそ、自分が本当に知りたいのは、
なぜ人間は、たった一発の銃弾で巨大な戦争が動き出すほど、お互いを恐れるようになってしまったのか。
ということなのだ。
『攻殻機動隊』の「撃たれる前に撃たなくちゃ!」
恐怖から相手を敵だと思い、先に攻撃してしまう。
この人間心理を分かりやすく描いた作品が、アニメ『攻殻機動隊 S.A.C. 2nd GIG』だ。
物語では、日本国内の難民と政府側の対立が激しくなっていく。
その裏で対立を意図的に激化させようとしていたのが、内閣情報庁の合田一人だ。
ある場面で合田は、恐怖でビクビクしている仲間に、
「おい、あいつ武器を持っているぞ」
という趣旨の言葉をささやく。
その仲間は恐怖が膨らみ、
「撃たれる前に撃たなくちゃ!」
と思い、持っていたピストルで相手を撃ってしまう。

ところが――
撃たれた相手が持っていたのは、銃ではなかった。
ただのパイプだった。
それでも恐怖が膨らむと、ただのパイプさえ、自分を攻撃する銃に見えてしまう。
合田自身がピストルを撃ったわけではない。
相手が攻撃してくると思わせただけだ。
しかし、その恐怖によって、仲間は「自分を守るため」に相手を撃った。
本人にとっては「自衛」だった。
しかし、撃たれた相手から見れば「攻撃」である。
そして、お互いの「自衛」が、お互いにとっての「攻撃」に見えたとき、争いはさらに激しくなり、戦争へと発展していく。
国家も職場の人間関係も同じだ
これは国家だけの話ではない。
以前、自分の職場に、周囲の人たちが気を遣うほど、職場で強い影響力を持つ女性がいた。
最初、自分はその人とすごく仲が良かった。
ところが途中から、
「この人の機嫌を損ねると厄介だな」
と思うようになった。
そこで、自分は少し距離を置いた。
自分にとっては攻撃ではない。トラブルにならないように、自分を守るためだった。
ところが相手は、
「避けられている」
「嫌われている」
「私を敵だと思っている」
と受け取ったのだと思う。
そして、自分を敵だと思い始めた相手の態度が、少しずつ攻撃的になっていった。

その態度を見た自分は、さらに怖くなり、
「やっぱり、この人とはもっと距離を置きたい」
と思うようになった。
しかし、自分がさらに距離を置くことで、相手は、
「ほら!やっぱり私を嫌っている!」
と確信してしまう。
こうして、お互いが自分を守ろうとするほど、相手への恐怖と警戒心が大きくなっていった。
国家も人間も同じだ。
「弱い犬ほどよく吠える」という言葉がある。
イメージするなら、お互いにぷるぷる震えているチワワだ。
怖いから「キャン!キャン!」と吠えている。
ところが相手には、その小さな「キャン!」が、
自分の心臓を破壊するほどの爆音に聞こえる。
だから自分も吠える。
その声を聞いて、相手もさらに吠える。
本当はお互いに、怖いだけなのに。
恐怖が相手を敵にし、その敵がさらに恐怖を大きくする。
国家間でも、人間関係でも、同じ構造だ。
エドワード・カーが語る「歴史とは過去との対話」――未来から歴史を解析する
過去の歴史に関する情報は、膨大に存在する。
しかし、そのすべてを知ることはできない。
そもそも、歴史資料に書かれた「事実」も、誰かが見て、判断し、記録したものだ。
そこには、その人の立場や価値観、判断のフィルターが入っている。
つまり、自分たちが歴史的事実として受け取っている情報も、誰かの解釈や解析を通して資料化されたものなのだ。
イギリスの歴史家エドワード・カーは、著書『歴史とは何か』で、
「歴史とは、現在と過去との絶え間ない対話である」
と語った。

では、何をもとに過去と対話するのか。
自分は、その基準こそが、
「自分たちは、どんな未来を創りたいのか?」
という未来のビジョンだと考えている。
例えば、恒久世界平和を実現したいのであれば、その未来をベースに歴史と対話する。
なぜ人間は戦争を繰り返してきたのか。
なぜ自分を守ろうとする行動が、相手への攻撃になってしまうのか。
どうすれば、その恐怖と憎しみの連鎖を終わらせられるのか。
そうやって過去を解析する。
もちろん、創りたい未来に都合よく歴史的事実を変えるという意味ではない。
過去から未来を決めるのではない。創りたい未来を明確にし、その未来を実現するために、過去の歴史と対話するのだ。
原爆を2つ落とされても未来のために恨みを捨てるサムライ精神

1945年8月6日、広島。そして9日、長崎。
アメリカは日本に二つの原子爆弾を投下した。
多くの命が奪われ、家族を失い、故郷を失った人たちがいた。
もし、自分の大切な人が殺されたら。
「絶対に許せない!」
「いつか同じことをしてやりたい!」
そう思っても不思議ではない。
しかし日本は、8月15日に終戦を国民に告げ、戦後はアメリカへの報復ではなく、平和な国づくりへと進んだ。
自分たちの怒りより、希望ある未来を選ぶ。
自分たちの恨みより、希望ある未来を選ぶ。
過去の戦争の恨みを断ち切るのは、人間業じゃない。ふつーじゃできない。
自分の命より大切にしてきたものさえ手放し、憎しみを次の世代へ引き継がない。
それは、亡くなった人たちを忘れることでも、その命を軽く扱うことでもない。
すべてを大切にしながら、恨みを超えて未来を選ぶことだ。
自分の命以上に大切な未来のために生きる。その決断と覚悟こそが、かっこいいサムライの心だ。
「戦争をやられる前に、やる」から、
「戦争をやられる前に、やらない」へ。
歴史を、次の憎しみではなく、恒久世界平和を実現するために使う。
自分は、その未来を選びたい。
「侵略か、自衛か」を超えて、私たちはどんな未来を創るのか
例えば、水分含有量がまったく同じみかんがあったとします。
そのみかんを、
「水分が豊富で、みずみずしいみかんだ!」
と解析することもできれば、
「水分が多すぎる、水っぽいみかんだ」
と解析することもできます。
同じみかん、同じ水分含有量という事実でも、解析の仕方が変われば、まったく違う見え方になるのです。

歴史も同じです。
例えば、今回の戦争の呼び方そのものにも、観点の違いが表れています。
「第二次世界大戦」という名称は、ヨーロッパやアジアを含む世界規模の戦争を、一つの歴史として捉えた呼び方です。
一方、当時の日本政府は、1941年12月に対米英戦争と、それ以前から続いていた中国との戦争を合わせて、
「大東亜戦争」と呼ぶことを決定しました。
この名称は、日本が掲げていた「大東亜共栄圏」という構想とも深く関係しています。
日本政府は、欧米列強によるアジアの植民地支配からの解放や、アジアの新しい秩序づくりを戦争の目的として掲げました。
つまり、「第二次世界大戦」という名称は世界規模の戦争という枠組みを示し、「大東亜戦争」という名称には、
当時の日本政府が掲げた戦争の目的や世界観が反映されているのです。
同じ歴史的出来事でも、どの範囲を捉え、どんな意味を与えるのかによって、名称まで変わってくる。

ただし、名称が違うことと、その名称に込められた主張が歴史的に正しいことは別問題です。
第二次世界大戦を「自衛」という観点から解析することもできれば、「侵略」という観点から解析することもできる。
もちろん、だからといって、どんな歴史解釈も同じように正しいという意味ではありません。事実や責任の検証は必要です。
しかし、自分が本当に伝えたいのは、どちらが正しいかという議論だけで終わらせないことです。
そもそも、自分たちはどんな未来を創りたいのか?
多くの先人たちが血を流し、命を懸けてまで守りたかったもの。
その思いを受け継いだ自分たちは、次の世代に何を残したいのでしょうか。
恨みでしょうか。
怒りでしょうか。
憤りでしょうか。
それを受け継いだ未来の人たちは、本当に嬉しいのでしょうか。
歓喜し、感動し、幸せになれるのでしょうか。
自分は、そうは思いません。
戦争の痛みや悲しみ、苦しみを忘れろと言っているのではありません。
その痛みを知っているからこそ、そのエネルギーを、何のために、どの方向へ捧げるのか。
それが何より大切なのです。
韓国人なのに、なぜ日本が世界を救う!とメッセージしているのか?
そして、この歴史の見方を自分に教えてくれたのが、韓国人のノ・ジェス氏でした。
まさに、「日本から侵略された」という反日教育を受けてきた韓国人でありながら、日本人の精神の素晴らしさを教えてくれた人です。
さらに自分は、ノ・ジェス氏の生き方そのものに、大きな可能性を感じています。
それは、「日本から侵略された」という韓国の歴史教育にも囚われず、韓国人というアイデンティティにも束縛されず、
自由に歴史を解析できる人間の姿です。
過去の歴史や民族感情に固定されていたら、
「日本が世界を救う!」
という発想には、なかなかたどり着けません。
しかし、ノ・ジェス氏は、韓国人という立場から日本の可能性を見いだし、日本が世界平和を
実現する使命を持つと語っています。

これは、歴史的事実を否定することでも、韓国人としてのアイデンティティを捨てることでもありません。
歴史を知りながら、その歴史に自分の思考や未来を決めさせない。
自分は、ノ・ジェス氏こそ、国家間の対立や民族感情を超えた、新しい人間モデルを体現している人だと思っています。
「敗戦の日」を「永遠な終戦」へ――歴史の見方が変わる瞬間
彼は、1945年8月15日という日を、まったく違う観点から見せてくれました。
多くの日本人にとって、それは「敗戦の日」。
国家が敗れ、多くの命を失った、絶望の日でもあります。
しかし、ノ・ジェス氏は、その日を単なる敗戦ではなく、
「永遠な終戦」
という未来のビジョンから捉え直したのです。
そして、日本には、世界から核兵器と戦争の連鎖を止める使命があると力強く語っています。
自分は、そのメッセージに大きな衝撃を受けました。
そして、無意識の奥深くに眠っていた、
「世界平和なんて、所詮は理想論でしかない」
という絶望が、
「もしかして? 人類の戦争に終止符を打てるかも!」
という希望に大反転したのです。
その瞬間、魂が打ち震えるほどの感動が込み上げ、号泣したことを、今でも鮮明に覚えています。
日本が侵略したのか、自衛だったのか。
その歴史を検証することは大切です。
しかし、そこで立ち止まるのではなく、過去の悲劇を二度と繰り返さない未来を創るために、歴史をも活用し、
編集し、デザインし、解析する。
「敗戦」という過去の結果から未来を決めるのではなく、「永遠な終戦」という創りたい未来から歴史を見つめ直す。
それが、ノ・ジェス氏から自分が学んだことです。
日本人である自分に、日本人の可能性を教えてくれた韓国人、ノ・ジェス氏。
ぜひ、日本人であるあなたにも、彼のメッセージを受け取っていただきたいです。
自分たちの怒りより、希望ある未来を選ぶ。
自分たちの恨みより、希望ある未来を選ぶ。
そして、先人たちが命を懸けて守ろうとした思いを、今度は自分たちが、恒久世界平和という未来へつないでいく。
その未来を、共に創っていきたい。


