最近、東京都議会議員のさとうさおり氏の議員辞職が話題になりました。
さとう氏は、東京都の税金の使われ方などについて、SNSでも積極的に発信してきた政治家です。
2026年8月末に一度、議員辞職の意向を表明。その後いったん撤回しましたが、9月14日に改めて議員辞職を発表しました。
その過程で本人は、身近な人物への暴行や、大切な人に関係する金銭的な要求があったと説明しています。
この一連の出来事を見ながら、自分は一つのことを考えました。
私たちは、本当に「事実」を見ているのでしょうか?
ニュースも、SNSも、YouTubeも、
私たちが知ることのできる情報は、現実の「部分」でしかありません。
そして、その部分と部分の間には、
「分からない」という空白があります。
事実と事実の間には「空白」がある

たとえば、さとう氏について、
都政について積極的に発信していた
↓
身近な人への暴行があった
↓
議員辞職
という情報を並べてみます。
すると、
「都政を追及したから、権力側から圧力をかけられたのでは?」
というストーリーが生まれます。
確かに、そう考えれば話はきれいにつながります。
でも、
暴行や金銭的要求をした人物の詳細や、それが政治活動と直接関係していたのかについては、公表された情報だけでは分かりません。
つまり、
事実と事実の間には、
「まだ分からない」という空白
があるのです。
以前、兵庫県の斎藤元彦知事をめぐる問題も、大きな話題になりました。
パワハラなどの疑惑が報じられ、県議会では不信任決議が可決。
一方、SNSでは、
「斎藤知事は改革を進め、既得権益に切り込んだから潰されたのではないか?」
という見方も広がりました。
すると、
改革した
↓
激しい批判を受けた
↓
既得権益に潰された
という、一つのストーリーができます。
でも、本当にその因果関係だったのでしょうか?
後に公表された第三者委員会の調査報告書では、斎藤知事の複数の言動についてパワーハラスメントが認定されています。
つまり、
「すべてが既得権益による陰謀だった」
と確認されたわけではありません。
ここにも、
事実と事実の間に「空白」
があります。
なぜ「正義のヒーロー」と「悪役」が生まれるのか?

もう一つ、以前大きな注目を集めたのが石丸伸二氏です。
安芸高田市長時代、議会や記者とのやり取りを収めた動画がSNSなどで広まり、2024年の東京都知事選では約166万票を獲得しました。
そこで生まれた見方の一つが、
「古い政治と戦う、新しい政治家」
というストーリーです。
悪い既得権益がいる。
そこへ、不正を暴く政治家が現れる。
悪を成敗する。
どこか、
水戸黄門
に似ています。
悪代官がいる。
黄門様が現れる。
印籠を出す。
悪が裁かれる。
一件落着。
とても分かりやすい。
そして、気持ちいい。
でも現実の政治は、
「めでたし、めでたし」
では終わりません。
本当に難しいのは、
「その後、どんな社会を創るのか?」
ではないでしょうか。
誰かを批判する。
問題を暴く。
それだけではなく、
なぜ、その問題が起きたのか?
仕組みをどう変えるのか?
代案は何なのか?
そして、
本当に実行できるのか?
言うは易し、行うは難し。
政治は、
悪役を見つけて倒したら終わりではありません。
脳は「空白」をストーリーで埋めてしまう

実は、人間の脳には面白い性質があります。
たとえば、
左側に棒が現れる。
消える。
次に、右側に棒が現れる。
条件によっては、
実際には途中の映像が存在していないのに、
「棒が左から右へ動いた」
ように感じます。
脳が、
見えていない途中を補っているのです。

情報でも、
似たことが起きます。
事実A
↓
【空白】
↓
事実B
この【空白】に、
自分の経験、
常識、
怒り、
恐怖、
期待、
そして、
自分がこれまで信じてきたストーリーを入れる。
そして、ここがとても面白いところです。
自分で空白を埋めて作ったストーリーなのに、
いつの間にか、
「これは絶対に正しい」
と思い込んでしまう。
しかも、
対立している相手も同じです。
相手も、
別の情報、
別の経験、
別の価値観から空白を埋め、
「自分の方が絶対に正しい」
と思っている。
すると、
「あなたは間違っている!」
「いや、間違っているのはそっちだ!」
と、
お互いが自分のストーリーを「事実」だと思ったままぶつかり合う。
その結果、
そもそも何が事実なのか?
何がまだ分からないのか?
そして、二人は何について意見が違っているのか?
その「論点」さえ分からなくなっていきます。
だから、
いつまで話しても平行線。
SNSでも、
政治でも、
国と国との対立でも、
同じようなことが起きます。
もしかすると私たちは、
同じ事実について争っているのではなく、それぞれの脳が「空白」に入れた別々のストーリーについて争っているのかもしれません。
ここが、自分はとても面白いと思うのです。
情報も歴史も「部分」でしかない

これは、歴史も同じです。
私たちは、
戦国時代も、
江戸時代も、
明治維新も、
その現場を直接見ていません。
残された文章、
写真、
絵、
証言、
記録。
その「部分」から、
歴史を理解しています。
つまり、
情報も歴史も「部分」でしかない。
だからこそ、
「どちらのストーリーが絶対に正しいのか?」
だけを争うのではなく、
もう一つ大切な問いがあると思っています。
その情報を、私たちはどう編集するのか?
どうデザインするのか?
そして、
どんな未来につなげていくのか?
です。
「誰が正義か?」より「どんな未来を創りたいか?」

善とは何か?
悪とは何か?
正義とは何か?
社会問題では、
自分たちがどんな未来を創りたいのかによって、
何を問題として見るのかも変わってきます。
たとえば、
性被害を安心して訴えることのできる社会を創りたいなら、
被害を訴える人を守る制度や組織の対応を重視するでしょう。
一方で、
十分な事実確認がないまま疑われ、社会的に断罪される人をなくしたいなら、
適正な手続きや、メディア・SNSによる社会的制裁を問題として見るでしょう。
だから、
「誰が正義?」
「誰が悪?」
だけで終わらず、
「私たちは、どんな未来を創りたいのか?」
から考える。
自分は、
ここが大切だと思っています。
政治家は「未来・政策・行動・結果」で見る

政治家を選ぶときも同じです。
誰を批判しているのか?
誰と戦っているのか?
ではなく、
まず、
「この人は、どんな未来を創りたいのか?」
を見る。
その未来のために、
どんな政策を掲げているのか?
そして現職なら、
前回の選挙で何を掲げたのか?
そのために、
どんな行動をしたのか?
そして、
どんな結果を出したのか?
そこを国民がチェックする。
選挙のときには、
未来ビジョン
↓
政策
↓
行動
↓
結果
を見る。
これが、
国民が持つ大切なチェック機能だと思います。
その前に、私たちはどんな未来を創りたいのか?

でも、
政治家をチェックする前に、
もっと大切なことがあります。
まず私たちが、
「どんな未来を創りたいのか?」
を持つことです。
自分たちが創りたい未来がなければ、
政治家に対して、
「それは違う!」
「この政治はおかしい!」
と批判しても、
何を基準に「違う」と判断しているのでしょうか?
政治家にすべてを任せ、
自分たちは未来を描かない。
そして、
結果だけを見て批判する。
それでは、
何を目指して、
何を変えてほしくて、
何を基準に批判しているのかさえ、
分からなくなってしまいます。
もちろん、
政治家を批判する権利は誰にでもあります。
でも大切なのは、
「批判できるかどうか」ではなく、「何のために批判するのか?」
です。
その出発点になるのが、
「私たちは、どんな未来を創りたいのか?」
という未来ビジョンです。
未来ビジョンがあるから、
政治家のビジョンを見ることができる。
政策を見ることができる。
行動をチェックできる。
そして、
「自分たちが創りたい未来に近づいているのか?」
という基準で判断できる。
政治家に未来を丸投げするのではなく、
私たち自身が未来を描き、政治家と一緒にその未来を創っていく。
自分は、
それが民主主義の大切な姿だと思っています。
「そんな政治家はいない」なら、自分たちから始める

「自分が創りたい未来と一致する政治家がいない」
という人もいます。
それなら、
自分が立候補する。
それが難しいなら、
同じ未来を描き、
立候補できる仲間を探して、
その人を応援する。
政治とは、
一部の政治家だけがやるものではありません。
私たち自身が、
「こんな未来を創りたい!」
と声を上げるところから始まるのだと思います。
人間は本来、未来をデザインできる

そして、
ここが自分が一番伝えたいことです。
自分は、
すべての人間は本来、何でも編集し、デザインしていく無限の可能性を持った存在
だと思っています。
人類は、
まだ存在していない未来をイメージし、
それを現実にしてきました。
たとえば、
「月に行く!」
という未来。
「月に行けたらいいね」
だけで終わっていたら、
人類は月には降り立っていなかったでしょう。
でも、
「月に行く!」
と未来を描いた。
そして、
「じゃあ、どうやって行く?」
と考えた。
必要な技術を開発する。
ロケットをつくる。
失敗する。
改善する。
そして1969年、
人類は月に降り立ちました。
最初にあったのは、
まだ現実には存在していない、
未来のイメージです。
未来をイメージする。
どうすればできるのかを考える。
行動する。
失敗する。
改善する。
そして、
現実そのものを変えていく。
これこそ、
人間が持っている無限の可能性を「可能にする」能力
なのだと思います。
「どうせ変わらない」という人間観を壊したい

だから、
自分が一番壊したいのは、
「自分には何もできない」
という人間観です。
「政治なんて変わらない」
「仕組みなんて変わらない」
「人なんて変わらない」
「自分一人が動いたって意味がない」
本当にそうでしょうか?
誰かが決めた社会の中で、
ただ受け身で生きるしかない。
そんな無力な存在が、
本来の人間なのでしょうか?
自分は、
そうは思いません。
すべての人間は本来、
まだ存在していない未来をイメージし、編集し、デザインし、現実にしていく無限の可能性そのもの
だと思っています。
だから、
「どうせ変わらない」
という人間観から、
「自分たちは未来を創ることができる」
という本来の人間観へ戻る。
自分は、
そんな教育を広げたい。
そして、
その教育を経済ともつなげたい。
人が学ぶ。
人が未来を描く。
人がチャレンジする。
そこから新しい価値が生まれる。
仕事が生まれる。
経済が動く。
そして、
社会が変わっていく。
人間の無限の可能性そのものが、社会を動かす力になる。
自分は、
そんな未来を創りたいと思っています。
「空白」を、誰かの物語に渡さない

最初の、
さとうさおり氏の話に戻ります。
情報には、
必ず「空白」があります。
歴史にも、
ニュースにも、
SNSにもあります。
だから、
空白を見つけた瞬間に、
誰かを正義にしたり、
誰かを悪にしたりするのではなく、
まず、
「ここまでは確認できた事実」
「ここから先は、まだ分からない」
と分ける。
そのうえで、
自分たちに問いかける。
「私たちは、どんな未来を創りたいのか?」
その未来から、
政治家のビジョンを見る。
政策を見る。
行動を見る。
結果を見る。
そして、
国民がチェックする。
違うと思えば、
声を上げる。
自分たちが望む未来を語る政治家がいないなら、
自分が立候補する。
難しければ、
同じ未来を描く仲間を応援する。
政治家に未来を任せるのではなく、
私たち自身が、未来の当事者になる。
情報は部分でしかない。
歴史も部分でしかない。
だからこそ、
その部分を、
私たちはどう編集するのか?
どんな未来をデザインするのか?
「どうせ変わらない」ではなく、
「私たちは、どんな未来を創りたいのか?」
そこから、
自分たちの政治を始めていきたいと思っています。

