「マイナス30℃の極寒!日本最北端・宗谷岬で、僕が素っ裸&大の字で大ジャンプ!?」でも僕は、そこにいなかった。

アイデンティティ教育

想像してみてください。

ある朝、スマホを開いたら、

僕の動画がSNSで大炎上していた。

場所は北海道、日本最北端・宗谷岬。

「マイナス30℃の極寒!」

という見出しとともに映っているのは――

素っ裸になって、大の字でジャンプしている僕!(笑)

顔も僕。

身体も僕。

声も僕。

どう見ても僕です。

「何やってんだ、この人」

「頭おかしいだろ!」

コメントが殺到し、100万回再生。

ところが――

僕は、そこにいない。

宗谷岬にも行っていない。

裸にもなっていない。

全部、

AIが作ったフェイク動画だった。

笑い話のようですが、AIが猛烈に進化する今、これは笑い話では済まなくなります。

AIが「もう一人の自分」を勝手につくる

長沼伸一郎先生の著書『世界史の構造的理解』『現代の「見えない皇帝」と日本の武器』を読んでいて、
僕が考えさせられたテーマがあります。

それは、

対面する習慣がなくなったら、人間社会はどうなるのか?

という問題です。

コロナ以降、Zoomなど画面越しで人と会うことが当たり前になりました。

そこにAIが入ってきます。

AIは文章だけでなく、

顔を作る。

声を再現する。

身体の動きを作る。

本人が話しているような映像まで作る。

だったら、僕そっくりのAIが誰かの悪口を言うことだってできる。

そして友人から、

「昨日、お前、俺の悪口を言っただろ!」

と怒鳴られる。

動画を見ると、確かに自分がいる。

でも、

僕は言っていない。

本物とフェイクの区別がつかなくなったとき、僕たちはどうすればいいのでしょう?

僕の答えは、

気にしない。

「○○さんが、あなたの悪口を言ってたよ」

「そうなんだね」

終了。

もちろん、犯罪や権利侵害なら対処する。

確認が必要なら確認する。

でも、入ってきた情報一つひとつに、

自分の感情まで支配させない。

全部フェイクかもしれない時代に、怒らされ、悲しまされ続ける。

そんなことに人生を使うのは、もったいない。

「パブロフの犬」ではなく、自分で決める

これは社会問題でも同じです。

たとえばSNSで、

「議員が海外視察でこんなことをしていた!」

「自分たちの税金を無駄遣いしている!」

という情報を見る。

「ふざけるな!」

「ムカつく!」

SNSに書き込む。

スッキリして終了。

そして次のニュースが来たら、また怒る。

これでは、

「パブロフの犬」です。

パブロフの犬は、ベルと食べ物を繰り返し結びつけることで、やがてベルを聞いただけで唾液を出すようになります。

つまり、

刺激が来たら、自動的に反応する。

SNSで「許せない!」という情報を見た瞬間に怒る。

「あいつは悪いやつだ!」と言われたら、一緒になって叩く。

これでは、

目の前に餌を出されて、よだれを垂らす「パブロフの犬」のような条件反射と変わりません。

怒ることが悪いのではありません。

問題があるなら改善を求めればいい。

その情報を見て、

「だったら次の選挙では、市民の投票率100%を目指そう!」

と行動してもいい。

大切なのは、

「この情報を材料にして、私はどうしたい?」

と問うことです。

情報は、自分を動かす主人ではない。

自分がどうしたいのかを決めるための材料です。

実は、人間は「自分で決める」ことが難しい

ところが――

ここに大問題があります。

僕たちは、本当に自分で決めているのでしょうか?

「これは正しい」

「これは間違っている」

「普通はこうする」

「この年齢なら、こうするべき」

「失敗したら恥ずかしい」

その判断基準は、どこから来たのでしょう?

親。

学校。

社会。

法律。

宗教。

文化。

僕たちは自分で判断しているようで、

人類が積み重ねてきた「正しさ」を使って判断しています。

人類は集団で生きるために、ルールを作ってきました。

たとえば、モーセの十戒には、

「殺してはならない」

「盗んではならない」

といった戒めがあります。

「そんなの当たり前じゃん」

と思うかもしれません。

でも、人間社会を維持するために、こうした規範を言葉にして共有してきたのです。

問題は、その「正しさ」が無意識の奥まで入り込むことです。

「そんな夢、無理だよ」

「普通はそんなことしない」

「もう、この年齢なんだから」

そうした「当たり前」から、自分の人生まで決める。

だから、

「これをやる!」

と決断したのに続かない。

「本当にこれでいいのかな……」

とモヤモヤする。

自分で決めたつもりでも、すでに存在する「正しさ」の中から選んでいるからです。

「自分とは何か?」を追いかけると、138億年前にたどり着く

さらに根本的な問題があります。

自分が何者なのか分からなければ、何を選択すればいいのかも分かりません。

たとえば、

トンカチなら釘を打つ。

ノコギリなら木を切る。

でも人間は、

最初から「あなたはトンカチです」と決められているわけではありません。

では、誰が決めるのか?

自分です。

トンカチとして生きると決めるのも自分。

ノコギリとして生きると決めるのも自分。

今まで存在しなかった自分になると決めるのも、自分です。

自分の設定は、自分でするしかない。

だから「自分らしく生きよう」と言う前に、

「自分とは何か?」

を問う必要があります。

そして、自分は人間です。

ならば、

「人間とは何か?」

を知らなければ、自分も分かりません。

僕は、AIの登場によって、

哲学が返り咲いた

と解析しています。

AIが文章を書き、絵を描き、人間の顔や声まで再現する。

だから今、

「じゃあ、人間って何なの?」

という問いから逃げられなくなった。

そして「人間とは何か?」を追求すると、人間が存在しなかった時代まで遡る必要があります。

人間以前には地球があった。

だったら、地球に聞く。

「なぜ、人間を生み出したの?」

地球がしゃべれるなら、

「私だって、自分で自分を作ったわけじゃない。宇宙に聞いてよ」

と答えるでしょう。

そこで宇宙に聞く。

さらに時間を巻き戻せば、

約138億年前の宇宙初期までたどり着きます。

だったら僕は、

「138億年+35歳です(笑)」

と自己紹介したっていい。

宇宙が生まれた。

星が生まれた。

地球ができた。

生命が生まれた。

人間が生まれた。

そして、

今ここに、私がいる。

全部つながっています。

では、

宇宙はなぜ生まれたのでしょう?

宇宙を生み出した根源があるなら、それは何なのか?

真空エネルギー?

神?

サムシング・グレート?

空?

真理?

悟り?

ワンネス?

これらは科学、哲学、宗教によって意味が違います。

しかし人類はずっと、

「この世界は、そもそもなぜ存在するのか?」

という根源を探究してきました。

そして、その根源は今の自分につながっている。

根源を知ることは、自分自身の根源を知ることです。

「大自由」から、自分を自分で設定する

ここからは僕自身の体験です。

僕は、

ネシエンス学

というものを学んでいます。

セミナーで、人間とは何か、自分とは何か、そのさらに根源にある世界について学んだとき、

僕の中ですべてが一気につながった瞬間がありました。

その瞬間、

得も言われぬ歓喜が込み上げ、

号泣しました。

あまりにも感動して、その夜は眠れませんでした。

朝4時に朝風呂へ行ったら、

なんと、同じセミナーの受講生がいた(笑)。

彼も、

「寝られなかった」

と言うんです。

その彼はギタリストでした。

僕は興奮と感動をノートに書き殴っていたので、それを見せて、

「これ、歌にしてほしい!」

とお願いしました。

そして本当に、歌まで作ってもらいました。

それほど、僕にとって大きな体験だったのです。

そして、

ここが僕が一番伝えたいことです。

「本当の自分」を探すのではありません。

自分を、自分で設定する。

でも、人類が積み重ねてきた、

正しい、間違っている。

できる、できない。

成功、失敗。

普通、異常。

そうした「知っている世界」の中から選んだら、

結局、すでに存在する選択肢から選んでいるだけです。

だから、

そこから外れる。

人類が積み重ねてきた「正しさ」や「思い込み」から、

完全に大自由になる。

そこには、

「こうしなければならない」がない。

「これが正解」もない。

だから、

クリエイティブしかない。

答えを探すのではない。

答えをつくる。

自分を探すのではない。

自分を設定する。

何者になるのか。

何をするのか。

どう生きるのか。

自分で決める。

自分で選択する。

自分で自分を設定する。

それだけです。

僕にとって、

知っている「知」の世界から完全に大自由になった世界。

それが、

ネシエンスの世界です。

AI時代に必要なのは、

AIより優秀になることではありません。

知に掴まれていないところから、自分で「私」を設定することです。

たとえSNSの中で、

僕そっくりの人間が、

マイナス30℃の宗谷岬で、

素っ裸になって大の字ジャンプしていたとしても、

それが「私」を決めるわけではない。

AIが僕をどう作ろうが、

SNSが僕をどう描こうが、

誰かが僕をどう評価しようが、

「私」を設定するのは、私です。

だから最後に、

あなたに問いかけます。

あなたは、何者として生きると決めますか?

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