笑い男が絶望したもの、少佐が見つけたもの
『攻殻機動隊 STAND ALONE COMPLEX』第26話(最終話)「公安9課、再び STAND ALONE COMPLEX」
この作品のラストで描かれる、アオイ(笑い男)と草薙素子少佐の図書館での対話は、
自分にとって最も印象的なシーンの一つです。
アオイはそこで、映画監督ジガ・ヴェルトフの言葉を引用します。
「私は私が見える世界を、皆に見せるための機械だ」
そして会話は、フレドリック・ジェイムソンや大澤真幸の思想へと広がっていきます。
一見すると難解な哲学談義のように見えます。しかし自分は、
このシーンの本質はもっとシンプルな問いにあると思っています。
それは、
「人間は本当に自由なのか?」
という問いです。
スタンド・アローン・コンプレックスとは何か

一般的にスタンド・アローン・コンプレックスとは、オリジナルが存在しないにもかかわらず、
人々が勝手に模倣し、巨大な社会現象が生まれてしまう状態を指します。
笑い男本人がいなくても、笑い男現象だけが広がっていく。
誰かが始めたのではなく、みんなが勝手に始めてしまう。
だからこそ、この作品はSNS時代を予言していた作品として語られることもあります。
しかし自分は、この物語の核心は模倣そのものではないと思っています。
アオイが本当に向き合ったのは、
「なぜ人は模倣するのか」という問いであり、
さらにその奥にある「自由とは何か?」という問いだったのではないでしょうか。
アオイ(笑い男)が絶望したもの

アオイは製薬会社の不正を暴こうとし、真実を伝えれば社会は変わる。
そう信じて行動していたが、現実は違っていた。
人々は事実そのものよりも、「笑い男」というミステリアスな事件に反応し、
模倣犯たちは笑い男を演じ、人々はそこに理想や正義を投影しました。
そして気づけば、アオイが伝えたかったメッセージとは違う形で、笑い男現象だけが一人歩きを始めていました。
そこでアオイは絶望します。
人は自由意志によって動いているのではなく、環境や情報やイメージによって動いているのではないか。
さらにその問いは、自分自身へ向かいます。
もし人間が環境によって作られている存在ならば、自分の正義感も本当に自分のものなのだろうか、と。
もしかすると、自分自身も社会システムが生み出した一つの現象に過ぎないのではないか・・・。
それがアオイの絶望だったように感じます。
少佐は絶望しなかった
しかし草薙素子少佐は違いました。
少佐もまた、アオイと同じ現象を見ているが、人々が事実ではなく大衆意識のイメージに反応すること。
つまりは、個人が自由に動いているように見えて、実は環境や社会システムの影響を受けていること。
そうした事実を少佐も理解していたが、少佐はアオイの絶望に対して
こう答えます。
「好奇心」
人間には好奇心がある。だから、絶望ではない、と。
人間はなぜ問い続けるのか?
人間はなぜ探究するのか?
人間はなぜ理解したいと思うのか?
少佐が見ていたのは、その背景にある「好奇心」という気持ちの力だったのではないでしょうか。
アオイが見たのはシステム。
少佐が見たのは、そのシステムの中でも消えない人間らしさ、だったのかもしれません。
出会いたい意思と人間の自由
自分はこのシーンを見るとき、アオイや少佐の視点だけではなく、それらを生み出した作者の士郎正宗さんの視点も
同時に感じます。(というか解析になるけど。)
まるで映画監督が作品全体を見渡しているような感覚。
そして自分がnTech(認識技術)を学ぶ中で見えてきたのは、好奇心よりもさらに根源的なものです。
それは、
出会いたい意思
です。
好奇心すらも、その結果として現れたものかもしれません。
真理そのものが、ひたすら出会いたい、という意思。
その意思があるからこそ、探究になり、問いになり、それが人間の中に現れてくる。
自分はそのように捉えています。
そして、この世界は自分自身が創り出している映画であるとするならば、アオイの絶望も、少佐の好奇心も、
絶対的な正解ではなく、
何を意味するのか?
どう解釈するのか?
どう定義するのか?
それは主体である自分自身(あなた)が自由に編集、デザインして決めること。
それが「自ら規定する力」
それこそが人間の真の主体性であり、人間に与えられた唯一無二の自由なのではないでしょうか?
だから自分は、このシーンを絶望の物語ではなく、希望のストーリーでもなく、
「人間は自ら意味を規定できる」
と、視聴者が、自由に妄想でもいいし、頭の中のクリエイティブを発揮し
自由自在に編集、デザインをしてもいい。
なんでもござれの世界。
それがAI時代に、これからが人間がするべきことであり、
言葉だけじゃなく、人間は無限脳可能性を秘めている、と120%自信満々にプライド、誇りをもって
堂々と言えるメッセージだと思います。

最後に
今日のブログのタイトルにした、攻殻機動隊で出てくる印象的なセリフ
「私は、私だけが見える世界を皆に見せるための機械だ。」
これは、映画監督ジガ・ヴェルトフの言葉で、
自分にしか見えない世界や感じ方を、映像という形で表現するという意味です。
そして、自分は映画監督である彼の名前である「ジガ」を、勝手に「自我」と読み替える。
、
そう考えると、この人生は、わがままに自由勝手に見ていい世界を表現する映画みたいなもんになるので、
監督も脚本家も主演も自分。
草薙素子少佐になるのも自分なら、アオイ(笑い男)になるのも自分。
バトーになるのも、トグサになるのも、タチコマになるのも自分です。
自分。自分。自分。自分・・・・・。
さて、あなた自身の映画なら、この攻殻機動隊のストーリーをどう解析しますか?
ぜひ、あなたの見ている世界観を教えてください。


