靖国参拝と『キングダム』信(しん)が楊端和(ようたんわ)を動かした「未来」の言葉から、世界平和を考える

悟った人のアニメ解析録

8月15日の終戦記念日。

毎年、この時期は、

靖国神社への総理が参拝するか?しないか?で、中国や韓国から強い反発が起こる。

「靖国にはA級戦犯が祀られている。そこに総理が参拝するのは、過去の侵略戦争を肯定しているのではないか?」

という批判になると思いますが、

一方、日本側には、

「靖国参拝はA級戦犯を讃えるためではない。戦争で亡くなった人たちを慰霊するためだ」

という思いがある。

なぜ、ここまで大きなすれ違いが生まれるのだろう。

自分は、この問題を考えるとき、単なる「歴史認識」だけではなく、国家のアイデンティティをも超えた視点が
必要なのではないかと思う。

「私たちは、苦難を乗り越えた勇者だ」

中国や韓国側の認識では、日本による侵略や支配に抵抗し、苦難を乗り越えてきたんだ、
という歴史観があると思う。

そこには、

「私たちは苦しんだ。それでも屈しなかった。みんなで力を合わせて乗り越えた」

という物語がある。

これは、国家にとって大きな誇りになる。

まるで言い方が悪いかも?だけど、

「強大な魔王に苦しめられた。それでもみんなで立ち上がり、魔王を倒した。だから、私たちは勇者だ!」

という物語だ。

この「勇者」というアイデンティティは、国民を一つにする強い力を持つ。

しかし同時に、

「日本に侵略された」
「日本に支配された」
「日本は私たちの敵だった」

という苦しみや怒りも、繰り返し呼び起こされる。

つまり同じ歴史が、

「私たちは苦難を乗り越えた勇敢な民族だ」という誇り

と、

「私たちは日本に苦しめられた」という被害や怒り

の両方を生み出す。

だから靖国が問題になる

中国や韓国から見ると、靖国神社には、過去の日本の戦争を指導したとしてA級戦犯とされた人々も祀られている。

そのため、

「靖国=過去の日本の侵略戦争を象徴する場所」

という意味づけが形成されている。

だから日本の総理が靖国を参拝すると、

「靖国に祀られているA級戦犯を讃えて、過去の侵略戦争を正当化しているのではないか?」

という疑問が出てくる。

日本側からすれば、

「いや、A級戦犯を讃えるためではない。戦争で亡くなった人たちを慰霊しているんだ」

となる。

ここには、大きな認識の違いがある。

でも、さらに深く考えると、靖国問題は単なる「参拝する・しない」の問題ではなく、

「敵国を作り、自分たちが正義だ!という国家のアイデンティティを、これからも持ち続けることで未来はあるのか?」

という問題にも見えてくる。

『キングダム』で、信(しん)が楊端和(ようたんわ)を動かした言葉

ここで、漫画『キングダム』のある場面を思い出したい。

物語の中で、秦国と山の民には、深い因縁があり、かつて山の民は、秦国から裏切られた過去を持っていた。

だから山の民にとって秦国は、単なる「別の国」ではなく、
「自分たちを裏切った憎い相手」だった。

その記憶は、何年経っても消えていない。

だから、秦国が山の民に協力を求めても、

「過去のことは忘れない。
あの裏切りを許すことはできない。」

という思いが、秦国との間に大きな壁をつくっていた。

そのとき、秦国の信(しん)は、

「過去のことなんて忘れろ」とは言わなかった。

「秦国は悪くなかった」とも言わなかった。

山の民が受けた裏切りや、死んでいった仲間たちの苦しみを、なかったことにしようともしなかった。

それでも信は、楊端和に問いかける。

「過去の恨みを抱え続けることが、本当に死んでいった仲間たちのためなのか?」

そして、信が放った言葉がこれだった。

「もしお前らが本気で死んだ奴らのことを想うのなら
奴らの見た夢を現実のものに変えてやれよ!!」

この言葉によって、楊端和の心は動く。

ここで信が示したのは、

「過去を忘れろ」ではない。

むしろ、

「過去を忘れなくてもいい。
でも、死んでいった人たちのために生きるなら、その人たちが願った未来をつくることこそ、本当の供養なのではないか」

という、未来のために今を選択しろ!というメッセージだった。

そして自分は、この場面が、靖国参拝をめぐる問題を考える上でも、大きなヒントになると思う。

「敵を倒した勇者」から「敵を必要としない勇者」へ

中国や韓国が、

「日本に抵抗した」
「日本の支配を乗り越えた」

という歴史を誇りにすること自体が問題、と言ってるわけじゃない。

その誇りを捨てる必要もない。

むしろ、その誇りをもっと大きくできるのではないだろうか。

今までの物語が、

「私たちは日本という敵に抵抗した。だから勇者だ」

だったとする。

ならば、次の物語は、

「私たちは、あれほどの苦難を乗り越えた。だから今度は、誰も敵にしない世界をつくる」

でもいい。

 

これは、過去を忘れることではない。

(中国、韓国側からみたら)日本の侵略や支配の歴史を否定することでもない。

苦しんだ人たちの存在を消すことでもない。

むしろ、

その苦しみを、未来をつくる力に変えることだ。

信が放った言葉のように

 

一番難しい勇気

敵と戦う勇気は、もちろん勇気だ。

でも、もっと難しい勇気があるのではないだろうか。

それは、

「敵がいなくても、自分たちの誇りを持てるようになること」

だと思う。

「日本に勝ったから誇り高い」

ではなく、

「日本、中国、韓国が、もう互いを敵にしなくても生きられる未来をつくった。だから私たちは誇り高い」

という、新しい誇りだ。

それは、これまでの勇者を否定することではない。

過去の勇者から、未来の勇者へ進化することだ。

日本にも同じことが言える

これは中国や韓国だけの話ではない。

日本も、過去の戦争をどう受け止めるのかという課題を持っている。

反省すべきことは反省する。

そして、戦争で亡くなった人たちを慰霊する。

この二つは両立できる。

だから、

「日本が悪い」
「中国・韓国が悪い」

という二択に閉じ込められる必要もない。

過去を消すのではなく、

過去よりも大きな未来をつくる。

そこに進むことはできるはずだ。

靖国を「未来への問い」に変える

靖国参拝をめぐって、

「日本が悪い」
「中国・韓国が悪い」

という議論を繰り返すだけでは、また新しい対立が生まれる。

だから、自分は別の問いを投げかけたい。

「あれほどの苦しい歴史を経験した私たちは、これから何をつくるのか?」

日本にも、中国にも、韓国にも、戦争で亡くなった人たちがいる。

その人たちが本当に望んでいる未来は、

子どもたちが何世代にもわたって互いを憎み続ける世界なのだろうか。

それとも、

「もう二度と、同じような苦しみを繰り返さなくていい世界」

なのだろうか。

信の言葉を借りるなら、

「もしお前らが本気で死んだ奴らのことを想うのなら
奴らの見た夢を現実のものに変えてやれよ!!」

過去を忘れる必要はない。

過去から学ぶ。

そして、その先にある未来をつくる。

敵を倒したことを誇りにする世界から、
敵を必要としない世界をつくったことを誇りにする世界へ。

日本も、中国も、韓国も。

そして世界中の国々が、

「誰が敵だったか」ではなく、
「誰も敵にしなくても生きられる世界をつくった」

ことを、新しい誇りにできたらいい。

それこそが、過去に命を失った人たちの「見た夢」を、
私たちが未来に実現していくことなのではないだろうか。

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