――1945年8月15日から考える、歴史と恒久世界平和
8月15日になると、戦争に関する情報が一気に目に入ってくる。
「終戦の日」「敗戦の日」「1945年8月15日」「玉音放送」「戦争責任」などなど。
そして、自分は毎年この時期になると、ある問いを考えてしまう。
日本が戦った戦争は、侵略戦争だったのか?
それとも、自衛の戦争だったのか?
この問いは、今も日本人の中で意見が分かれている。
では、なぜ同じ歴史を見ているのに、これほど認識が分かれるのだろうか?
その問いに答えるために、
「歴史とは何なのか?」
から考えてみたい。
エドワード・ハレット・カーから考える
歴史の定義を考える上で、自分が重要だと思う人物がいる。
それが、
エドワード・ハレット・カー
彼はイギリスの歴史家で『歴史とは何か?』の著者になる。

カーは歴史について、
「歴史とは現在と過去との対話である」
と考えた。
これは、どういうことなのだろうか?
過去には、数え切れないほどたくさんの出来事が起きている。
しかし、そのすべてを私たちは知ることができない。
だから歴史家は、膨大な出来事の中から、
「これは重要だ」
「これは歴史を理解するために必要だ」
と思う出来事を選び、それを記録し、つなぎ合わせて、歴史として描いていく。
つまり、
歴史は、過去に起きたことを、そのまま全部並べたものではない。
「何を取り上げるのか」
「何を重要とするのか」
「何と何を結びつけるのか」
という、人間の選択が入っている。
そして、その選択には、その人が生きている時代や、現在の問題意識も関わってくる。
だからカーは、
「現在と過去との対話」
と表現したのだと思う。
私たちが教科書やテレビ、新聞、インターネットなどから「歴史的事実」として受け取っている情報も
私たちの目の前に届くまでには、誰かが選び、整理し、言葉にしている。
つまり、
私たちが歴史として受け取っている情報には、必ず人間の選択や解釈が入っている。
だから、私たちが見ている歴史は「部分情報」として表現されている。
そして、ここで大切なのは、
「侵略」も、「自衛」も、「軍部の暴走」も、「安全保障上の判断」も、それ自体が事実情報なのではない。
それらは、起きた出来事に対して、
誰かが「正しい」「間違っている」というフィルターを通して意味づけした、部分情報なのだ。
このことを理解しなくてはいけないと思う。
だからこそ、
「これは侵略だった」
「これは自衛だった」
と、最初から結論を決めてしまうのではなく、
その言葉の背後に、どんな事実があり、どんな背景があり、誰が、どのような視点から、その出来事を解析したのか?
そこまで見ていく必要がある。
自分は、ここが歴史を考える上で、とても重要だと思っている。
「侵略か、自衛か?」を考えるために
では、
「日本の戦争は侵略だったのか?それとも自衛だったのか?」
それを考えるには、何を見ればいいのだろうか?
1941年の太平洋戦争開戦だけを見ても、その背景は十分には見えてこない。
日本がなぜ戦争へ向かっていったのかを考えるなら、
そこに至るまでの出来事を、一つひとつ見ていく必要がある。
その中でも、とても重要なのが、
1931年に起きた満州事変だ。

満州事変は、その後の日本の中国への軍事的拡大、日中戦争、そして太平洋戦争へと
つながっていく重要な転換点の一つだった。
だから、
「日本は侵略戦争をしたのか?」「それとも日本を守るための戦争だったのか?」
を考えるなら、
まず、
「なぜ日本は満州事変を起こしたのか?」
ここから考えてみることが重要だと思う。
満州事変と石原莞爾
1931年9月18日、柳条湖で南満州鉄道の線路が爆破された。
関東軍はこれを中国側の仕業として軍事行動を開始し、その後、満州各地へ軍事行動を拡大していった。
ここだけを切り取れば、
「日本軍が中国を侵略した」
という理解になる。
実際、東京書籍の中学校歴史教科書には、
「世界恐慌と日本の中国侵略」
という単元がある。
「侵略」のイメージを学校の教科書で採用されているのは、偏っているんじゃないか?と
疑問もわいたが、
どう単語を捉えるのか?は自由だ。
さて。戦争の話しに戻ると、関東軍の中心人物の一人が、
石原莞爾(いしわら かんじ)だ。

石原莞爾(いしわら かんじ)は、単純に中国を攻撃したかったわけではない。
彼には、
「満州を確保することが、日本を守ることにつながる」
という明確な考えがあった。
当時の日本にとって、満州は単なる土地ではなかった。
北にはソ連があり、中国では国民政府による統一が進もうとしていた。
日本は、ロシア・ソ連との対立を安全保障上の大きな問題として認識しており、
満州には日本の権益や南満州鉄道なども存在していた。
そうした背景の中で石原莞爾は、
このまま満州の情勢を放置すれば、日本の安全が脅かされる。
だから、
満州を日本の安全保障のために確保する。
そう考えて、満州事変を進めた。
つまり石原莞爾の行動には、
「中国を侵略したい」という意図だけではなく、「日本を守りたい」という意志があった。
ここは、とても重要なポイントだと思う。
ただし、ここで、
「だから石原は正しかった」
と結論を出したいわけではない。
逆に、
「日本軍が満州を占領したのだから、すべて侵略だった」
と、そこで思考を止めたいわけでもない。
見るべきなのは、
石原莞爾が何を考え、何を恐れ、何を守ろうとして、その判断に至ったのか。
そして、その判断が、
なぜ政府の方針と衝突し、なぜ関東軍の軍事行動が拡大していったのか。
実際、石原は満州事変を起こした一方、その後の日中戦争の拡大には反対し、
戦線の不拡大を主張したことも知られている。
ここまで見て初めて、
「満州事変=日本の侵略」
という一つの部分情報だけではなく、
「なぜ日本はそう動いたのか?」
という背景まで含めて、満州事変を立体的に解析できるのではないだろうか。
そして、そこから初めて、
日本の戦争は、本当に「侵略戦争」だったのか?
それとも「自衛の戦争」だったのか?
という問いを、自分自身で考えることができるのだと思う。
「悪いことをしたんだから、苦しめ」
もし、
「あなたたちは悪いことをした」
と定義したら、
「猛省しなさい」
「申し訳ありませんでした、と謝り続けなさい」
「罪を背負い続けなさい」
となる。
そして、
「悪いことをしたんだから、苦しめ!」
「自業自得だ!」
と、憎しみ続ける。
憎しみ続けること。
このテーマは、『キングダム』の魂の決戦の映画で、趙国の秦国に対する恨みを晴らす!という
万極(まんごく)の人生にも通じる。

万極(まんごく)は、秦が趙の兵士を大量に生き埋めにした長平の戦いの悲劇を背負い、
秦への深い恨みを抱いて生きている。
その怒りには理由がある。
被害を受けた人の痛みを、「忘れろ」と言うことはできない。
でも、
憎しみ続けることの先に、未来はあるのだろうか?
過去の被害によって生まれた憎しみを、次の世代、その次の世代へと渡していったら、
そこに尊厳ある社会は生まれるのだろうか?
歴史は、部分情報からできている
私たちが知っている過去は、その出来事そのものではない。
誰かが見たもの。
誰かが記録したもの。
誰かが語ったもの。
残された資料。
そして、残らなかった情報もある。
つまり、
歴史として残っている情報は、すべて過去の一部分になる。
だから、一つの情報を見つけて、
「これが事実だ」
と決めることでもない。
かといって、部分情報を集めれば、
「過去の全体像が見える」
ということでもない。
過去は、どこまでいっても部分情報です。
では、その部分情報を、
私たちは、どんな観点から、どう意味づけるのか?
そこが重要なんじゃないか、と思う。
エドワード・ハレット・カーが歴史とは、
「現在と過去との対話」になるように。
未来から、過去を解析する
「どんな未来をつくりたいのか?」
という未来ビジョンから、過去を解析するのが、健全な歴史観って思っている。
たとえば、
戦争のない世界。
人間の尊厳が守られる社会。
恒久世界平和。
そんな未来をつくりたい。
だから、その未来を実現するために、
「なぜ戦争が起きたのか?」
「なぜ人は憎しみを抱いたのか?」
「なぜ、その選択をしたのか?」
を考えたい。
『キングダム』の万極も、過去の悲劇を背負い、秦への恨みつらみを抱えて生きている。
その怒りには理由がある。
でも、
恨みつらみを抱えて生きることで、結局、自分自身が苦しむことになる。
過去に起きた出来事は変えられない。
だからこそ、
その過去を、どんな未来につなげるのか?
という視点から、歴史を解析したい。
8月15日を「永遠な終戦」として解析する
日本は、広島と長崎に原子爆弾を投下された。
その事実から、怒りや憎しみが生まれるのは当然。
でも、その憎しみを次の世代、その次の世代へと渡していったら、
そこに尊厳ある未来はあるのだろうか?
そこで、ネシエンス学を提唱しているNoh Jesu氏が、日本にプレゼントしてくれたリテラシーが、
「永遠な終戦」
という言葉だった。
8月15日を、
「戦争が終わった日」
という過去の事実だけではなく、
「ここから永遠に戦争を終わらせていく日」
として解析してくれた。
過去を美化するためでもない。
誰かの責任を消すためでもない。
戦争のない未来をつくるために、過去をどう解析するのか。
それが大事と思った。
その問いを、8月15日にみんなで考えたい。
『キングダム』の嬴政(えいせい)は、
「中華を一つにする」

という、誰も実現したことのないビジョンを掲げた。
「そんなこと、本当にできるのか?」
誰もが不可能、荒唐無稽な理想論だ!と言われるところから、そこから始まった。
だったら自分たちも、
「戦争のない世界をつくる」
という未来を語ってもいいのではないだろうか。
もし本当に、恒久世界平和が実現するなら。
私たちは歴史をどう解析し、何を変え、何を始めることができるのか?
8月15日、15時間の生ライブで、みんなと一緒に考えたい。
「8.15 永遠な終戦」
8:00〜23:00
15時間 YouTubeオンライン生配信。


