ある日、同僚の一言で、私は心の中で怒っていた。
「また否定された」
そう感じた瞬間、頭の中でイライラが広がっていく。
でもその出来事をきっかけに、私はあることに気づいた。
それは――
「否定された」という事実は存在していなかった
ということだった。
その気づきから、私はアニメ「鬼滅の刃」に登場する冨岡義勇の言葉の本当の意味を理解することになった。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな。」
ミーティングで起きた小さな出来事
仕事でミーティングの調整をしていたときのこと。
別の会議にメンバーが入っていて、人数が足りないかもしれないと思った私は言った。
「クライアントとのミーティング、来週にした方がいいかもしれませんね。」
すると同僚が言った。
「人数は足りているので、今週やった方がいいと思います。」
その瞬間、私の頭の中ではこう聞こえた。
「あなたの判断は間違っている」
そして心の中で怒りが湧いた。
「また否定された!」
「自分をジャッジされた!」
感情を書き出してみた
私はノートを取り出し、感情を書きなぐった。
「ふざけんな!」
「また否定してきた!」
「なんでそんな言い方するんだ!」
怒りを全部出し切った。
すると少し落ち着いた。
そしてノートの文章を事実と解釈に分けてみた。
青=事実
赤=思い込み
青(事実)
・同僚が「今週やった方がいい」と言った
赤(解釈)
・否定された
・責められた
・ジャッジされた
ほとんどが赤だった。

つまり私は
思い込みに怒っていた。
さらに深い問い
そこで自分に問いかけた。
「なぜ怒ったの?」
さらに
「なぜ?」
「なぜ?」
「なぜ?」
すると一つのセルフイメージにたどり着いた。
「存在自体が間違っている私」
だから私は
否定された
責められた
と感じていたのだ。
外の出来事ではなく
自分のアイデンティティが世界を作っていた。
そう。
否定された、責められた、は客観的事実からすると、存在しえない。
ただ、ただ。
否定された、責められたと思い込んだ認識だけが、そこにある。
映画監督の視点
ここで、さらに真理の技術(nTech)を使うことになる。
すべての認識を一度ゼロにする。
オール0化
一切、何も問題ない世界。
そこから、クリエイティブ、創造するだけだ。
すべての登場人物が、自分が主体的に演出として、演技をさせている。
人生という映画を自分が演出している
映画監督の視点。

出来事
感情
思い込み
それらがすべて
人生というストーリーの中の設定のように見えてきた。
なぜこの設定を作ったのか
私はこういう設定をしていた。
「間違っているから責められる私」
でもそれは罰ではなかった。
恐怖
不安
否定
それを体験することで
人の痛みを理解するためのドラマ
だった。
慈悲という視点
ここで思い出したのがイエス・キリストの言葉だ。
十字架にかけられたとき、彼はこう言った。
「父よ、彼らをお許しください。
彼らは自分が何をしているのか分からないのです。」

普通なら
怒り
憎しみ
復讐
が生まれる場面だ。
でも彼は慈悲を選んだ。
もし人が無意識の条件反射で誰かを傷つけているのだとしたら、
その人を憎むことだけが答えではないのかもしれない。
冨岡義勇の言葉の本当の意味
このとき私は理解した。
「生殺与奪の権を他人に握らせるな」
それは
「強くなれ」
ではなく
人生の意味を決める権利を
他人に渡すな
ということだった。
資本主義社会との対比
この気づきを得た背景には、社会の構造も影響している。
資本主義社会では
生産
効率
成果
が最優先される。
表面的には
「大丈夫?」
「無理しないで」
と言われても
会社の売上や効率に関係ない個人の悩みや苦しみは、ほとんど無視される。
でも私の会社は少し違った。
社長は本気で言う。
「やりたくないなら休んだらいいじゃん。」
さらにこうも言う。
「個人が幸せになることが、会社の利益になる。」
効率重視の環境では気づけなかった、自分のアイデンティティを見つめる時間を、この会社は与えてくれた。
最後に
今回の体験を通して私は
アイデンティティ(セルフイメージ)
が人生の見え方を大きく変えることを実感した。
もし興味がある方がいれば、今回の気づきを体験できる「7つのカード」を使ったコミュニケーションゲームも開発しているので、また別の機会に紹介できたらと思う。

人生の意味を決める権利は、
最初から最後まで、
自分にしかない。本来ならば・・・

