ジョジョの奇妙な冒険に登場する人気キャラクター、DIO。
彼の有名なセリフ「無駄無駄無駄!」や、彼が立ち上げる「ザ・ワールド(世界)」。
実はこれらの言葉が、私たちが日常で無意識にやってしまっている「自己否定」の罠に
気づかせてくれる、とても深いメッセージだった。
今回は、私が朝のジャーナリング(ノートに書きなぐる)を通してハッとさせられた、
「自作自演のカラクリ」と「自分で世界を創り出す感覚」についてシェアします。
「出来ない私」を無意識が望んでいるぅぅぅーっ
私たちは頭(意識)では、人からジャッジされたり指摘されたりしたらイラつくし、怒り狂う人もいると思う。
けど、心の奥底にある無意識のアイデンティティは、
ジャッジされる、否定されることを、強烈に望んでいる。(まさか!だけど。)
この肉体が自分だという小さなアイデンティティは「出来ない私」を設定しているため
「出来てる私」「褒められる私」は許されない。
昨日、人と話しているときに「出来てないと思い込み、モヤモヤしている状態がすごく順調で、
それを突破してスッキリしていくからね」
と言われて、すごく癒さ、涙が溢れそうになった。
と、
と!
同時に、モヤモヤ、ザワザワ、そんなことはありえない!と無意識の感覚がうずく。
時を止めてバナナの皮を置く?「ザ・ワールド」の自作自演
これって、現状に対する自分の感情の反応すらも、あらかじめ自分で設定している。
信じられます?というか、信じたくないですよね。
それはまるで、誰もいない場所でこっそり「ザ・ワールド!」と叫んで時を止め、自分がこれから歩く道に
わざとバナナの皮を置いて「転んで失敗する私(=できない私)」をセットしておく。
そして時を動かして歩き出し、自分でそれを踏んで派手にすっ転んでから、
「痛い!ちょっと、誰だ!こんな所にバナナの皮を置いたのは!」と周りに怒り狂っているようなもん。

まさに完全なる「自作自演」
朝のジャーナリングで無意識のアイデンティティがうずくのを感じたとき、この滑稽な自作自演の
仕組みに気づいて、思わずアウトプット(文章化)したくなりました。
DIOの「無駄無駄無駄!」が教えてくれる優しい真理
実は、私自身のいつもの口癖が「それやる必要ある?無駄じゃない?効率悪いじゃん、無駄無駄無駄無駄!」
だったんですよね。(まさにDIOそのもの!!w)
その効率主義は「出来る自分になりたい!」という思いがあるからこそ、
「無駄はしたくない」と強く思ってしまう。
で、「無駄無駄無駄!」という言葉の背景には、実は「わたしはできない」という悲痛な叫びがあったんです。
そして、「できないと、怒られる、嫌われる、仲間外れにされる」という
恐怖や不安の叫びが隠れていたことに気づきました。
さらに、自分の「無駄」の定義が、「自分の能力がUPしない行動」「自分がもっとできる状態になること」
以外はすべて無駄だったんです。
無駄無駄無駄無駄。
なので、何か資料作成とか、スケジュール調整とか、自分の能力、スキルがUPしないようなことだと、
やる気が起きない、やらない、やりたくない、ってことが分かりました。
逆を言えば、やる気が起きるのは「自分の能力UPのみ!」という、超スーパーミラクル個人主義で、
自分のことしか考えていなかったんですよね。
しかも、その内面はというと、ちっさい、チワワのようにビクビク、おどおどしている「私」が、一生懸命に大きくなろうとして必死に頑張っている…みたいな感じだったんです。

そうやって必死な私が「出来る私!」というワールド(世界)を展開させようとするとき、まさにDIOの「無駄無駄無駄!」というセリフがほとばしる。
真理の観点から見ると、この「無駄」というのは効率の話ではなく、その背景にある「出来ない私」と自己否定するエネルギーに対して、「それが無駄だよ」と教えてくれているメッセージでもある。
宇宙や自然、歴史、今の時代まで、そのすべては「無限の可能性である本来のわたし」が創造しているので。
それなのに、0歳から今の年齢までの範囲を自分と思い込み、その一部だけを切り取って「私」と自覚し、
自己否定するのはもったいない(無駄な)ことですよね。
そもそも、自己否定しちゃうという考えを一つ浮かべるのにも、宇宙の応援がないと出来ない。
すべてが繋がっている1つのイメージから神秘・神聖の世界を見ていないことに対して、
「無駄無駄無駄!」と連発してくれている真理の叫び。
「ザ・ワールド」の創造主(映画監督)になる
今回の気づきを通して、「自分の人生を一ミリもバカにしない」と改めて思いました。
すべての現象は、自分で創り出している「創造主」であることを忘れてはならないな、と。
自分が否定された、ジャッジされた、相手が悪い、あいつが絶対に許せない…そういった現状すらも、
みずから自分自身で創り出しています。
DIOの言葉は、この自作自演に気づかずに自分が創り出している世界(ザ・ワールド!)に気づけ、
というサインなんだと思い込むようにしてます。
自分がすべてを創っているという「映画監督感覚」、これが「PU(パーソナルユニバース)」と呼ばれる視点です。
でも、このPU(パーソナルユニバース)から見ると、実は些細な事、すべての行動、すべての考え、
感情が、愛おしい状態でしかない。
すべてが自分が創り出している。
それはまるで、子供を産んだ母親のように、怒り、焦り、否定すらも愛おしい。
もちろん、感謝の言葉、笑顔、歓喜感動の感情もいとおしい。
すべてが自分の大切な創造物なんですよね。
まとめ:自分の選択に気づき、優しい世界を創ろう
このパーソナルユニバースの感覚を理解し、納得し、確信してしまうと、目の前の人や、悪徳っぽい政治、体制、マスメディアに対する否定や非難も、すべて自分の中で作られているだけだと気づきます。
実際には悪も善も、否定も肯定もなくて、
「悪と思っている選択」「善と思っている選択」があるだけなんだな、って。
自分がそう見たい、そう感じたい、そう思い込みたいという選択があるだけなんですよね。
無意識に自分でバナナの皮を置いて転ぶような自作自演をやめて、チワワのように震えていた自分や、
怒りも焦りもすべて愛おしいと抱きしめながら、
無限の可能性を持つあなただけの素晴らしい「ザ・ワールド」を、今日から一緒に優しく展開していきませんか?
ザ・ワールド!(あなただけがみている世界)


