正義を手放した先に見える、新しい平和の輪郭
1. 「やらなければ、やられる」という静かな恐怖の正体
歴史の教科書をめくったり、日々のニュースで遠い国の争いに触れたりすると、「なぜ同じような悲劇が何度も繰り返されるのだろう」と感じることがあります。
戦争を「悪い誰かが起こしたもの」と単純化することは簡単ですが、少し立ち止まって歴史の背景を見ていくと、そこにはもっと切実で、人間的な感情が横たわっていることに気づきます。それは多くの場合、「恐怖」です。
たとえば、日露戦争から満州事変へと至る流れを見てみると、当時のロシアが不凍港を求めて南下しようとしたのは、寒冷な環境の中で国家を維持するための、生存に直結した判断でした。一方で、それを目の当たりにした日本は、「ここで止めなければ、いずれ自分たちが飲み込まれる」という強い危機感を抱いた。
ここには、どちらか一方が単純に悪だった、という構図はありません。ジョン・ハーツが指摘した「安全保障のジレンマ」――自分を守ろうとする行動が、相手には攻撃の準備に見えてしまい、互いの恐怖が連鎖していく構造――が、そのまま表れています。
ロシアの恐怖が日本の恐怖を呼び、日本の行動がさらに別の恐怖を生む。この連鎖は、時代や国を超えて繰り返されてきました。
この構造は、国家間だけでなく、私たちの日常的な人間関係にも重なります。傷つかないように心に壁を作った結果、それが相手には拒絶や攻撃として受け取られ、関係がこじれていく。
当時の日本が「満州から引けばすべてを失う」と感じたように、私たちもまた、自分の正義や立場を手放すことを、どこかで「自分が消えてしまうこと」のように感じているのかもしれません。
国家も個人も、実は鎧の下では、不安に震えている存在なのだと考えると、見えてくる景色は少し変わります。
2. 正義という名の、終わらない「ジャッジ」の檻
「平和を守るために、悪を許さない」。
この言葉は一見もっともらしく聞こえますが、そこには一つの逆説があります。正義を掲げて誰かを裁こうとする行為そのものが、結果として平和を遠ざけてしまうことがある、という点です。
かつて本多勝一氏が南京での出来事を報道し、日本の過去と向き合う問題提起を行いました。本来それは、内省を促す行為であるはずでした。しかし、その情報が国際政治の文脈で「日本を攻撃するための材料」として使われたことで、国内には「自分たちが否定された」という感情が生まれました。
その反発が、感情的なナショナリズムや分断を加速させた側面も否定できません。
平和を願う人ほど、「自分は正しく、相手は間違っている」という二項対立のジャッジに縛られてしまうことがあります。ヨハン・ガルトゥングのいう「構造的暴力」――制度や差別によって静かに続く苦しみ――をなくそうとしながら、心の内側では「平和的でない人」を裁いてしまう。
それでは、平和について語ることはできても、安心そのものを生きることは難しい。
「自分の正義に従うなら受け入れる」という条件付きの関係性は、いずれ新たな対立を生みます。
平和を願う言葉が、いつの間にか誰かを攻撃する道具になっていないか。その問いに正直になり、正義という重たい武器を一度手放したとき、ようやく私たちは対立の枠組みの外に出ることができます。
3. 「無条件」という安心──平和しか生まない私への招待
では、恐怖やジャッジの連鎖を終わらせるために、私たちには何ができるのでしょうか。
ここで一つの視点として、「nTech(人間を愛する技術)」という考え方を紹介します。
ガルトゥングが示した「積極的平和」――単に戦争がない状態ではなく、誰もが尊厳をもって生きられる社会――は、確かに重要な理想です。ただし、そこに至るには「平和のために努力する」という段階を超え、「在り方そのものが平和である」という視点への転換が求められます。
自分の中にある正義という武器を下ろし、自分と相手を分けていた境界線そのものが消えていく。そのとき人は、「安心換期」と呼べる状態に立つことができます。
それは一時的なリラックスではなく、自分の存在そのものが安心の源となり、その感覚が自然と周囲に広がっていく状態です。
「平和を作るために何かをする」という自己犠牲的な生き方から、「自分自身が平和として存在する」という在り方へ。
この転換こそが、長い歴史の中で人類が流してきた無数の涙を終わらせるための、一つの鍵なのかもしれません。正しくあろうとしなくていい。ただ、ありのままで在ることが、結果として最も強い安全保障になることもあるのです。
壮大な話に聞こえるかもしれませんが、出発点はとてもささやかなものです。今、手元の飲み物の温度を感じること。窓の外の景色を、評価せずにそのまま受け取ること。
正義という鎧を少し緩め、静かに呼吸を整えるところから、平和は始まります。
最後にひとこと
「正解」を探すのをやめ、ふっと肩の力が抜けた瞬間。
そのときのあなたの心が、もしかすると世界でいちばん平和な場所なのかもしれません。

