「分かり合えない」ことが分かっていないから、ブチ切れる。――『自分』という分断を超え、怒りをクリエイティブに変える技術

アイデンティティ教育

昨日、仕事の中で、猛烈なイラ立ちが湧いてきた。

「自分で考えろや!」
「全然、主体性がないな」

もちろん、主体的に考えることは素晴らしいことだ。正論かもしれない。
でも、そこで「相手が悪い」で終わらせたら、私の人生は何も変わらない。

最近、私はイライラしたり「嫌だな」と感じたりした時は、必ずジャーナリング(ノートに書くこと)をすることにしている。

その時、一つだけ大事な**「設定」をする。
それは、真理を活用した
『人間を愛する技術を使っている私』**というアイデンティティを大前提に置いて、ペンを握ることだ。

脳の「初期設定」に振り回されないために

このアイデンティティを設定して書くと、面白いことが起こる。
自分の感情をアウトプットすることに感謝が湧き、その内容を「事実」と「思い込み」に冷静に分けることができるのだ。

逆に、このアイデンティティの設定をしていないと、イライラや嫌な感情が「当然のもの」として居座り、その正体を見なくなってしまう。そして、誰かをジャッジして自分の正当性を確認する作業が始まり、また同じような出来事が人生で永遠に繰り返されることになる。

どストレートに言ってしまえば、人間の脳は「否定すること」がお仕事なのだ。
脳の機能上、自己否定、他者否定、環境否定をするように初期設定されている。自己保全が強いほど、無意識に他者を否定し、自分の正しさを蓄積しようとする。

そこに「ちょっと待て!」「STOP!」をかけるのが、人間を愛する技術であるnTech(認識技術)だ。

「100%自分に原因がある」という自由

現象に対して感情的になった時、例え誰がどう見ても相手が悪かったとしても、原因は100%自分の中にある。
自分のアイデンティティの設定によって、その現象を引っ張り込み、作り出しているからだ。

今回、あえて自分の「絶対的な正しさ」を愛を持って全否定してみた。
すると、自分の思考の盲点が浮き彫りになった。

私は仲間に期待していたのだ。
「主体性を発揮して発言するのが当然だ」「自分でアイデアを出してMTGに投げかけるのが当たり前だ」と。

なぜ、そこまで期待してしまうのか?
その心の背景を探ると、**「共有したい!」「共感したい!」「分かり合いたい!」**という切実な願いがあったことに気づく。

「自分」とは「自らを分ける」ということ

しかし、現実は残酷だ。人はそれぞれの世界観(観点)の中に生きていて、バラバラだ。
だから、本質的に「分かり合えない」。

人は分かり合えないからこそ、分かり合おうとする。
けれど「分かり合えない」という前提が分かっていないから、争い、摩擦、衝突、そして戦争が起きる。

イライラや怒りは「第二感情」と言われる。
その奥にある「第一感情」は、いつだって**「さみしさ」**だ。

人間の認識方式は、世界と自分を分断するようにできている。
「自分」という言葉は、「自らを、分ける」と書く。
300年前にデカルトが「身心二元論」で心と体を切り離して以来、この分離による孤独は加速し続けている。

「分かり合えない」から始まる新しい関係性

「あぁ、そうか。私はこの人と分かり合いたい、共有したいんだな。でもそれができないから、感情的になっているんだな」

そう自覚できるだけで、景色は変わる。
「分かり合えない」ことが分かっていないから、ブチ切れるのだ。

もし「分かり合えない」をスタート地点にできたら?
それは絶望ではなく、最高にクリエイティブなきっかけになる。

これからは、同じような状況が来ても大丈夫だ。
分かり合えないことを嘆くのではなく、分かり合えないこと自体を楽しめるコミュニケーションへと、自分をバージョンアップさせていこう。

 

PS:心理学者のカールユングも

「無意識を意識化しないと、それはあなたの人生を支配し、それを運命と呼ぶだろう」と。
【運命】聞こえはいいが、ただ無自覚な機械的な条件反射だ、と知った時のショックといったら。。。。

ちょっとでもイライラしたり、違和感を感じた無意識のメッセージ。

意識化しよう。

変化のために。

 

 

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