今日、会社の会議中に、自分が困っている人を助けたい!と
問題解決をすぐにしたくなってしまう。
そんなことに気づいた。
それが人として、とーぜん。あたりまえ。
でしょ?
けど、それをすることによって、相手のもがき、苦しみ、そこから自ら主体的に変化していく
意思の芽を摘むことになる。
ドロドロの泥だらけの中からハスの花が咲くように、
「もがき」「嫌な感覚」「痛み」「苦しみ」を通過して人は変化、成長、
その人の本当の個性の花が咲く。
だから、いつでも相談してきていいよ♪というWelcom状態で、
見守る、待つ、ことの重要性に気づけた。
話は戻るけど、自分が人を助けたい!と思うのは、人を助けることで、人に優しくすることで、
その相手から愛されるんじゃないか?という無意識深くのアイデンティティレベルの
思い込みによって引き起こされる。
(※これ人類共通の設定である自己否定をする宇宙の初期設定)
なかなか、そこには気づけない。
気づく技術、方法がない。今までの人類は。
そこに気づければ、変化ができる。まさに、無意識の意識化。
それが出来る技術がアイデンティティ教育(nTech)であり、それを活用している実践できる
Web製作事業を共にしている仲間がいるから、そこに気づける。
ありがとう。
シンプルだけど、感謝の蓄積をしていこう、と思った。
尊厳とは「相手を助けられない」ことを明確に知ること。
目の前の相手は無限の可能性そのものだから、本来ならば自分自身で
すべての問題を解決できる、というか、
すべての問題は、一切問題ない!その境地の無限の可能性だから。
相手を助けよう、とすることはおこがましいし、失礼だ。

コメント