「自由」と「平等」は、長いあいだ対立するものとして語られてきました。
自由を重視すれば格差が広がり、平等を重視すれば個性が失われる。
人類はこのジレンマに、ずっと悩み続けています。
しかし、本当に自由と平等は、対立しているのでしょうか。
今回は、この二つの関係を「点」と「波動」という新しい視点で捉え直し、両立への道を紐解いていきます。
自由と平等は、同じ動きに見える
私には、自由と平等がまったく同じ動きに見えます。
ただ、その動きが人間の認識によって「違うもの」として分けられている様子も、同時に見えているのです。
それは性質の違いというより、見方・捉え方の違いによって生まれているものです。
自由は「点」として現れる
自由は、**「点」**として現れます。
個人という点が集まって社会をつくる。
点には輪郭があり、主体があり、選択がある。
それが自由です。
しかし、点は点のままだと、全体とつながっていないイメージになります。
そのため、自由には必ず孤独や不安がつきまといます。
「自分は正しいのか」
「この選択で大丈夫なのか」
自由とは、可能性であると同時に、責任と不安を引き受ける状態でもあるのです。
平等は「波動」として現れる
一方で、平等は**「波動」**として現れます。
波動は全体に広がり、互いにつながっています。
そこには崩れにくさとしての安定はありますが、必ずしも安心感があるわけではありません。
全体に属していることで、外れにくく、揺らぎにくい構造は生まれます。
しかしそれは、「個としてそのままでいていい」という安心とは別のものです。
波動に深く溶け込むほど、個性の輪郭は薄れていきます。
全体に合わせることが優先され、違いを出すことは難しくなる。
まるでロボットのように、同じ振る舞いが求められるのです。
安定はありますが、自由に咲くはずの個性の花は、開きにくくなります。
このジレンマを生み出しているのは誰か
ここで重要なことがあります。
自由(点)と平等(波動)は、自然にどこかに存在しているものではありません。
それを生み出しているのは、人間自身です。
人間は、
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自分を「個」として切り出すこともでき
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自分を「全体の一部」として感じることもできる
この両方の認識を持っています。
つまり、点も、波動も、粒子も、全体も、すべては人間の認識がつくり出しているイメージなのです。
ここに、人間の無限の可能性があります。
自由か、平等か、ではない
これまでの社会は、「自由か、平等か」どちらかを選ばなければならないように設計されてきました。
しかし実際には、自由と平等は対立する実体ではなく、人間が作り出した概念にすぎません。
だから本当は、次のようなすべての形が選択可能です。
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自由と平等が両立する社会
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自由だけが強調される社会
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平等だけが強調される社会
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どちらも成り立たない社会
人類はこれまで、「自由と平等は成り立たない」という選択もしてきましたし、
「どちらかを犠牲にする」という選択もしてきました。
イメージ言語が、この混乱を超える
この混乱を生んでいるのは、自由と平等そのものではありません。
それを「どう認識するか」です。
概念言語は、世界を切り分けます。
自由か、平等か。粒子か、波動か。
しかし、**「イメージ言語(nTech)」**は違います。
イメージ言語は、脳の分離意識を超えて、これまでイメージできなかった世界を
そのまま捉えることを可能にします。
そこでは、粒子と波動を分けて考えるのではなく、同時にイメージすることができます。
自由と平等は、矛盾としてではなく、一つの動きの異なる現れとして見えてくるのです。
結論:自由と平等は、成り立つ
自由と平等は、対立しているのではない。
それらをどう生み出し、どう扱い、どう選択するかを、人間自身が決めています。
だから、自由と平等は両立できます。
それだけでなく、自由と平等が成り立つかどうか自体を、人間は選ぶことができるのです。
このことに気づいたとき、私たちは初めて、自由にも、平等にも、
振り回されない場所に立てるのではないでしょうか。
イメージ言語(nTech)、ここでは人間を愛する技術と呼んでますが、興味、関心のある方は
お問い合わせください。

